日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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館山海軍赤山地下壕

 


東京湾の入り口・千葉県館山市にある

             海軍赤山地下壕に潜入!!

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千葉県館山市にある館山海軍航空隊赤山地下壕は、館山航空自衛隊近くにあります。

現在、赤山地下壕は、館山市によって管理されており、

2004年(平成16年)4月1日からは、200円の入場料を払うと誰でも見学できます。

受付は、隣にある豊津ホール内部にあり、ここでヘルメット、懐中電灯などを借りて

すぐ隣の敷地にある壕に入ります。

地下壕に入るところは、トンネル工事現場の入り口のような雰囲気です。

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ヘルメットを着用し懐中電灯を手に持ち

      我、いざ!!地下壕に入らん!!

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(どんな壕なのか)

この壕は、不思議な空間です。

壕は、全長が約1.6キロ。側面は滑らかになっていて、綺麗な地層が目に入ります。

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壁に近づいてみると、ツルハシか何かで削ったような跡がたくさんありました。

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この地下壕は、太平洋戦争末期に米軍の空襲が激しくなったために、館山海軍航空隊の防空壕として使われていたと見られています。

館山は東京湾の入り口にあるという立地のため、米軍の帝都空襲を迎え撃つ航空基地としての重要な役割があったと思われます。

壕内は広大で、その中には、発電所、館山海軍航空隊の事務所、病院施設などを備えた地下要塞都市が作られていたと考えられます。

しかしながら、軍事秘密基地ということで、終戦後に資料が処分されたらしく、設計図や資料がほとんど残っていません。

工事が行われたのは、おそらく1935年(昭和10年)〜1945年(昭和20年)ぐらいでは

ないかと言われています。

綺麗な曲線が物語るように、この壕の完成度はかなり高いです。

芸術品と言ってもいいと思います。

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壕が張り巡らされている複雑な内部構造は、侵入してきた敵を混乱させるためではないかと思われます。

 

(軍都・館山)

千葉県館山市東京湾の入り口にあります。

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1930年(昭和5年)6月に、この地に館山海軍航空隊が設立され、戦闘機、艦上攻撃機、水上偵察機などの航空機の基地として発展していきます。

基地の近くには、1941年(昭和16年)に、対空射撃や陸戦隊の戦術を教える軍人教育機関の館山海軍砲術学校が、さらに1943年(昭和18年)には、航空兵器整備のための洲ノ崎海軍航空隊も作られました。

一方、館山湾は艦隊の停泊地として使用され、鏡ヶ浦周辺一帯は「要塞地帯」ということで撮影禁止になり、立ち入り禁止地域もできます。

このように館山周辺は、軍事施設が集中し、その関係の産業が栄える「軍都」として発達していきます。

 

この、館山海軍赤山地下壕は70年以上前に作られましたが、今も戦争遺跡としてしっかりと残っています。

是非、足を運んで内部を体験して下さい。

 

 <<館山海軍赤山地下壕への行き方>>

JR館山駅東口からJRバス関東 洲の崎線(安房白浜方面行き)に乗り

宮城停留所で下車して徒歩1分

住所: 千葉県館山市宮城192−2  0470-24-1911

営業時間:09:30~16:00

入場料金:一般200円・小中高校生100円

 

館山市HP内の赤山地下壕】

ここには、ストリートビューで赤山地下壕の様子を見ることができます。

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