福岡県行橋市の築城(ついき)。
築城は、瀬戸内海や関門海峡を控えた内海航路の要衝であり、また洋上爆撃や電撃作戦や訓練がやりやすいとうこから太平洋戦争中の1943年(昭和18年)6月に海軍航空隊が宮崎から移転しました。
築城飛行場の面積は145万㎡で、長さ1800m、幅50mの滑走路が、周防灘に向かって
伸びていて、ここで戦闘機乗組員の訓練や教育が行われました。
(稲童1号掩体壕)
筑城飛行場の周囲には敵の空襲から飛行機を格納する、掩体壕が複数作られました。
その1つが稲童1号掩体壕です。
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(地下通信司令部壕)
飛行場の周辺には、情報通信機能を守る通信指令号も数カ所造られました。
その1つは、稲童1号掩体壕のすぐ近くにあり、今もその姿を見ることができます。
稲童1号掩体壕から右に出て最初の道を左に進むと信号がある大きな道の手前に車1台が通るような小さな道があるのでそこに入ります。
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(空襲の傷跡)
飛行場があるため築城周辺は太平洋戦争末期には何度も空襲を受けました。
空襲の激しい傷跡は周辺のお墓や神社などに今も残っていて見ることができます。
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(奉安殿)
稲童1号掩体壕がある場所には、奉安殿が展示されています。
(自衛隊の基地として)
築城は海軍の航空基地があったことから終戦後はここに航空自衛隊の基地が作られ
1955年(昭和33年)からはT-33が配備され操縦訓練が始まります。
築城は2006年(平成18年)1月10日町村合併で椎田町と合併し築上町になりました。
掩体壕も神社も通信司令部壕も近くに固まっているので、1度に見ることができます。