日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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2月22日 肉弾三勇士

今から90年近く前の1932年(昭和7年)2月22日、日本中に大ブームを起こした出来事が起きました。肉弾三勇士です。あるいは爆弾三勇士とも言います。

その時に造られた像の一部が現在も東京のお寺にひっそりと残っています。

本来は3人で長い爆薬筒を抱えていましたが、事情により現在の姿は

以下のようになっています。

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(肉弾三勇士とは)

1932年(昭和7年)に中国・上海で上海事変が起きますが、中国軍が作った鉄条網に阻まれ日本軍は先に進めません。

そこで福岡県久留米市にあった陸軍独立工兵第18大隊の3人(江下武二、北川丞、作江伊之助、いずれも一等兵)が、一緒に長さ3メートルの爆弾筒を抱えたまま中国軍が作った鉄条網に突っ込み爆破しました。その爆破で鉄条網が破壊され、日本軍の進軍の突破口となりました。

この3人は爆弾とともに自らの命を落とし、この戦死で2階級特進し、「肉弾三勇士」、「爆弾三勇士」と賞賛され、昭和最初の軍神となりました。

 

三勇士が自分の命を捧げたその犠牲的精神と行動に対し、日本中が沸き、

その愛国精神を軍部が称賛し新聞各社が取り上げたため、この行為を扱った映画、

音楽、浪曲、部隊、書籍が次々と複数登場します。

子供の玩具や菓子の中にも、三勇士に関するシールなどが登場し、さらに爆弾キャラメル、爆弾チョコレートなども登場。

当時少年に大人気だった雑誌の「少年倶楽部」には、三勇士の銅像の模型が付録になっています。

さらに、この出来事は小学校の教科書や音楽の本にも載るなど日本の国を挙げての大ブームとなりました。

三勇士の母達も「軍神の母」としてたたえられ逸話が伝えられました。

銅像建立には10万人の小学生を含む多くの募金が集まりました。

そして三銃士の銅像が、3名が所属した部隊があった久留米市と東京などに建立されました。

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【東京:青松寺にある三勇士の像の一部】

 

(時代背景)

肉弾三勇士が起きた1932年(昭和7年)は、元大蔵大臣の井上準之介などが殺害される血盟団事件満州国の建国、5・15事件、大日本国防婦人会の発足などが起き、海外ではナチスがドイツ総選挙で大勝します。

世界的に見ても、この時期は、軍国主義の時代です。

アジアでは日本軍と中国の軍事的緊張関係が続いていました。

そして1932年(昭和7年)の1月28日に上海で上海事変が起きます。

 

(肉弾三勇士の生き証人と会う!)

おっさんは、この話は1980年代、中学生の時に本で読んで知ったのですが、数年後、

その肉弾三勇士を生で知っている方に偶然お会いし話を聞く機会がありました。

1990年(平成2年)3月、おっさんは中国・上海に行きました。

その時、たまたま知り合ったご高齢の男性が軍隊としてこの地を訪れたと話されていたので、思い切って話しかけ色々と話を聞きました。

この方は、肉弾三勇士と同じ部隊にいたそうです。

話によると「この3人は愛嬌がある、明るい人たちだった。」そうです。

また、この時は、中国軍の鉄条網を破壊するために爆薬筒を抱えて突っ込んだのは他にも何グループかいたこと、そのグループのほとんどが爆薬筒を置いたのちにすぐに生還でき、この三人だけが戦死したこと、という話も聞きました。

また「戦死したことは聞いたが軍神になるとは思っていなかった」そうです。

もうこの方はお亡くなりになっていると思いますが、貴重なお話を伺うことができました。

 

(肉弾三勇士の像)

東京都港区愛宕二丁目にある青松寺。

室町時代の1476年に麹町に創建され、江戸時代になる手前の1600年に現在の場所に移ったこのお寺に、肉弾三勇士の銅像の一部が今も残っています。

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日本中で大ブームとなった昭和最初の軍神・肉弾三勇士には、その行為に感動・感激した人や企業からの基金が集まり、上海事変から2年後の1934年(昭和9年)、その寄金をもとに、東京都港区愛宕二丁目にある青松寺に肉弾三勇士の銅像が建てられました。

銅像は、先頭が北川丞、真ん中が作江伊之助、最後の江下武二の順番になっていて、

この銅像のなかには、三勇士の遺骨が納められました。

軍神ということで小学校の生徒や一般人などが連日多く参拝したそうです。

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【当時の「肉弾三勇士」絵葉書】

しかし、戦後、この三勇士の像は、軍国主義のシンボルとみなされることを危惧した

関係者から撤去されて現在は、石碑と、最後の江下武二の像が残っています。

おっさんは、この像を見に行きましたが、お寺の片隅にぽつんと残っていて、

「当時あれだけ日本中を沸かせたというのに、この扱いは非常に淋しいなあ」と感じました。

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 90年ほど前に日本中に大ブームを巻き起こした肉弾三勇士、その像が一部が残っただけで、今も東京のお寺の隅にひっそりと残っています。

  

<<肉弾三勇士の像が残っている青松寺への行き方>>

東京メトロ 日比谷線神谷町駅 3番出口より徒歩8分 

東京メトロ 三田線御成門駅 A5出口より徒歩5分

住所:東京都港区愛宕2丁目4番7号

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