3月10日(旧暦)は、710年に平城京に遷都された年です。
おっさんは、小学生の時に 平城京遷都を「710(なんと)大きな平城京」と暗記しました。(「なんと」は驚いた時に叫ぶ“何と!”と“南都”を掛け合わせたもの)
今回は、その平城京のお話です。
710年、元明天皇がそれまであった藤原京から奈良の平城京に遷都します。
奈良時代の始まりです。
ちなみに藤原京は狭くて人口を抱えきれなかったために遷都せざるを得ない状況になりました。
平城京は、現在の奈良市につくられ、当時の先進国だった中国・唐の都、長安をお手本にしています。
東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の東側に、東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を加えた総面積が約2,500ヘクタールという巨大な人工的な都市です。
都の南端にある羅城門から朱雀門までまっすぐに伸びた朱雀大路は幅約74m。
この朱雀大路の西側を右京、東側を左京と呼び、碁盤の目のようにきれいに区画されています。
平城京遷都から始まる奈良時代は、794年までの80年余りですが、この間、日本が律令国家としての仕組みを定着させ天平文化が花開きました。
「古事記」「日本書紀」「万葉集」が作られ、遣唐使も派遣されました。
また奈良の大仏が作られ、仏教を中心に日本の国を治めようとしていました。
723年には三世一身の法、743年には墾田永年私財法ができ、すべての土地を国のものとする公地公民制度が崩壊します。そして、荘園制度がはじまろうとします。
(5年間に4回遷都し結局平城京に戻る)
奈良時代に出てくる有名な天皇の1人に752年に完成した奈良の大仏で有名な聖武天皇がいます。
聖武天皇はなぜか、740年から745年にかけて、4度も遷都を繰り返しています。
741年に平城京から恭仁京に遷都し、その3年後の744年に難波宮へ、翌年745年には紫香楽宮へ、そして同じ年に平城京へ戻します。
都を造るのには大きな作業とお金がかかります。わずか5年の間に4回も遷都するとは、みんな大変だったと思います。
784年、桓武天皇の命で、平城京から長岡京に遷都します。長岡京は、現在の京都府向日市や長岡京市周辺です。
最近の文献を読むと、平城京はシルクロードの東端の終着地とされ、国際的な都市で、平城京内には、インドや、唐人、新羅などの外国人が見られたそうです。
平城京がシルクロードの東の終着地であったことから、日本にもたらされた異国の品は東大寺正倉院に納められています。
現在、平城京は復元されて誰もが観光することができます。
現在の平城宮遺跡の中でも有名な朱雀門は、1998年(平成十年)に復元されました。
(平城京関連の公式HP)
【平城宮跡事業推進室HP】
【平城京の時代を調べるならこの本がお勧め!】
朱色に彩らえた平城京。
いにしえの奈良の都に思いを寄せては
いかがでしょうか?