894年の9月30日、
平安時代のこの日に菅原道真が宇多天皇に進言し遣唐使が廃止されました。
(遣唐使)
遣唐使とは、7〜9世紀に日本の朝廷から海を越えて唐へと送られた使節のことをいいます。
当時は今と違いガソリンもなく、造船技術や航海技術も未熟で、気象学も発達していないため、日本から唐に渡るのは命がけでした。
何度もナンパしたり、潮に流され東南アジアにまで流れついたことがあったそうです。
こうして 命の危険を冒してまで唐に行くのは、進んだ技術や文化を吸収しようという
強い意志がありました。
630年に犬上御田鍬(いぬがみの みたすき)が派遣されて以来、遣唐使は唐に渡り
その進んだ文化や政治の制度を吸収してきました。
そして遣唐使が持ち帰ってきた唐の文化や政治制度を日本に導入することで、朝廷は
大きく進化していきます。
平城京跡にできた奈良朱雀門広場には、遣唐使の船が再現され展示されています。
【奈良県観光公式サイト】
(毎年、遣唐使が派遣されたわけではない)
しかし、朝廷は毎年遣唐使を派遣したわけではありません。
平安時代では804年と838年のわずか2回だけです。たったの2回!
それ以降は派遣をしていませんでした。
(「もう学ぶべきことはない」遣唐使廃止)
894年に、菅原道真を大使にして実に半世紀ぶりに遣唐使が計画されました。
しかし、大使の菅原道真の意見によって遣唐使の計画は中止となりました。
廃止の理由は、唐が衰えもう学ぶ必要はないので、もう、命の危険を冒してまで遣唐使を送ることはないと言うことです。
そして、遣唐使が廃止されたあと、日本には日本独自の「国風文化」が生まれていきます。
894年の遣唐使の大使に予定されていた菅原道真は、自らが提案した遣唐使廃止の7年後の901年に藤原時平との政争に敗れ、九州の太宰府へと左遷され、そこで生涯を終えます。
【菅原道真が流された太宰府政庁跡について書いたブログはココ】
という事で9月30日は、遣唐使が廃止された日です。