日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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5月11日 特攻での最大の人的被害 米空母バンカー・ヒル大破(沖縄 菊水6号作戦)

上の写真は特攻で炎上する米空母バンカー・ヒルです。1945年(昭和20年)5月11日、
沖縄で菊水6号作戦が行われ、
バンカー・ヒルは大破し300名以上が亡くなります。
これは日本軍の特攻作戦で、
単艦で生じた最多の人的損害です。

 

(菊水作戦とは)

1945年(昭和20年)、沖縄を巡る戦いが繰り広げられるなか、日本軍は米軍の沖縄上陸とその進軍、そして制圧を阻止するために「菊水作戦」と名付けた特攻作戦を連続して行います。
菊水作戦の「菊水」は、南北朝時代に朝廷側に立って足利尊氏湊川の戦いで戦った
楠木正成の旗印にちなんでいます。

「菊水作戦」は十回に渡って行われました。ちなみに、戦艦大和が沈んだ坊ノ岬沖海戦は菊水1号作戦です。

 

(菊水6号作戦)

1945年(昭和20年)5月11日、日本海軍は菊水6号作戦を行います。
そしてこの攻撃で米空母バンカー・ヒルは2機の突入を受け大破します。

この空母バンカー・ヒルは、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦にも参加した空母です。
またこの空母に艦載された戦闘機は日本本土空襲も行っています。

さらにバンカー・ヒルは、4月7日に行われ戦艦大和が沈んだ坊ノ岬海戦にも参加しています。

【坊ノ岬沖海戦については下をクリックして御覧下さい】

 

(2機の特攻機が命中し大破)

1945年(昭和20年)5月11日午前10時9分、南西諸島沖東方122kmにおいて「ワレ突入ス」との無線の後、米空母のバンカー・ヒルに2つの海軍零式戦闘機が突入します。

まず、安則盛三中尉が操縦する海軍零式戦闘機が海面近くを低空飛行で接近してきます。爆弾は艦上を通り過ぎ海上に落下し爆発し船体に損傷を与えます。そして、零戦は機銃掃射をしながら、同空母上に並んでいた艦載機に突っ込みます。

そして、その約30秒後には、学徒出陣で早稲田大学からきた小川清少尉が操縦する零式艦上戦闘機零戦が、艦尾から接近し、250kg爆弾を投下し、その後に艦橋と飛行甲板の境に激突します。

 

この体当たりで、第58任務部隊の幕僚や当番兵13人が戦死し、投下した爆弾は艦内の後部エレベーター付近で爆発します。

爆発後、ガソリンに引火したために大火災が発生し、バンカー・ヒルは全体が炎と煙に包まれます。

攻撃を受け大火災が発生したバンカー・ヒルでは懸命な消火活動が行われました。


この火災で発生した有毒な煙が艦内に流入し、待機していた多くの戦闘機パイロットや機関室で作業中の機関員多数が一酸化炭素中毒で死亡しました。

この2機の零式戦闘機の体当たり攻撃での戦死者・行方不明者は402名、負傷者は264名にのぼり、これは特攻攻撃により単艦で生じた最多の人的損害となりました。

バンカー・ヒルは、沈没はまぬがれたものの戦闘不能となり、ウルシー環礁まで後退して、真珠湾経由で修理のため本国に帰還します。
ウルシー環礁に向かう途中では、亡くなった300名以上の兵士の水葬が行われます。
この水葬は、2023年5月現在までにアメリカ海軍が一回で行った最大規模です。

 

【空母バンカー・ヒルに関しては以下の本がお勧めです】

 

 

沖縄戦の終焉)

6月23日、沖縄本土で指揮を執っていた牛島満司令官が自決したことで沖縄での集団的戦闘が、終了し、沖縄は完全に米軍に占領されます。
そして10度に及んだ「菊水作戦」も終わりを告げます。

 

5月11日は
特攻での最大の人的被害を与えた
菊水6号作戦が行われた日です。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。