「水戸黄門」と並んでTVで有名な時代劇「大岡越前」や「遠山の金さん」、「江戸を斬る」・・。
「大岡越前」の主人公の名奉行「大岡越前守忠相」や遠山の金さんこと「遠山左衛門尉景元」が執務をしたのが南町奉行所です。
この南町奉行所は、有楽町駅周辺にあり、JR有楽町駅中央口前には「東京都指定旧跡
南町奉行所跡」と書かれた碑が立っています。
(南町奉行所って何をするところ?)
「南町奉行所」・・時代劇で、名前はよく耳にしますが実際は何をするところなのか、
よく知らないので調べてみました。
江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに、徳川幕府の三奉行のひとつでした。
江戸町奉行は、南町奉行所と北町奉行所に分かれていていました。
南町奉行所は、江戸の町の南側、すなわち現在の有楽町の南側に位置していたこと
から、南町奉行所と名付けられました。
一方、北側には北町奉行所がありました。
南町奉行所は、北町奉行所と一月交代制で、将軍のおひざ元のお江戸の町の司法、
行政、治安維持を行うなど、警視庁と裁判所の役割を果たしていました。
南町奉行所は、1707年に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地に
ありました。
南町奉行所では、北町奉行所が業務を行っている期間、いわゆる裏勤務のときも、
受け付けていた訴状の事務処理作業を行っていましたが、なにしろ当時の首都・お江戸、その作業量はすさまじい激務だったそうです。
南町奉行所は、およそ16時で閉まりますが、その後も山積みの訴状と格闘しなければならなかったため、残業は当たり前だったそうです。
(TVで有名なお奉行様)
この南町奉行所は、大岡越前こと、大岡忠相が1717年から1736年の、20年ここで執務を行っていました。
また、北町奉行で有名な、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元も、北町奉行を務めた
あと、ここ南町奉行にも務めています。
この地で、わずか300年前に「大岡越前」の名裁きが行われたり、遠山の金さんが
働いていたと思うと、なんかワクワクしますね。
<<南町奉行所跡への行き方>>
JR「有楽町」駅中央口から徒歩約1分
東京都千代田区有楽町2丁目