日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第27話「宿縁の命」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
数十年と大河ドラマを見ている立場から言うと、この「光る君へ」は、合戦や戦闘シーンが少ない「変化球」であり、平安時代の宮中を舞台にした恋愛ドラマです。

第27話「宿縁の命」を見ていきます。
(一夜を過ごす)
まひろは石山寺道長と偶然にも再会します。そして、石山寺の境内を歩きながら話をします。
まひろが道長を「お痩せになりましたね」と案じると、道長は「やらねばならないことが山積み。手に余ることが次々に起こる」と答えます。

道長は、まひろの心中までを察しているようで、まひろは「偉くおなりになって、人の心を読めるようになったなられたのですね」と言い、道長は「偉くなったからではない…」と答えます。

まひろは、越前の地で宋語を習得したことを伝え、「お目にかかれてうれしゅうございました。お健やかに」と言うと、道長も「お前もな」と別れます。

しかし、2人は目を合わせmやがて道長は引き返し、まひろを力強く抱き寄せます。そして一夜を共にします。
なんか、この流れ、大河じゃないんですよね・・・。
あと、今の世界とは価値観が違うとは言え、お互いダブル不倫。特に、まひろは新婚に近いはず。股が緩いんですよね・・
道長はまひろに「今一度、俺のそばで生きることを考えぬか」と言いますが、まひろは断ります。

(定子懐妊)
3月、藤原定子の懐妊が明らかになり職御曹司を訪れた一条天皇は大喜びです。
そして一条天皇は、ききょうに定子の世話を託します。

定子懐妊の知らせを聞いた道長は、皇子だという安倍晴明の予言を思い出し、動揺します。
対照的に道長の妻・倫子は「殿と私が力を合わせれば、世を捨てたはずの中宮様が産む皇子なぞ怖くはございませぬ、気張りましょう!」と強気です。
(教育)
天皇の后になることがきまった彰子の母・倫子は、赤染衛門に、彰子の育成を託します。
彰子の母・倫子は、彰子が感情表現に乏しく内気なので心配です。
衛門に「華やかな艶が欲しい。入内して目立たなければ死んだも同然。みなの注目を集める妃でなければ。我が家の命運がかかっている」と懇願します。これを受け赤染衛門は、「帝をお見上げ申し上げるときはまなざしを下から…上へ」と彰子に指南します。そして赤染衛門は「閨房(夫婦の寝室)の心得は、彰子様に一通りお教えしました。何度もうなずいて聞いておられました、おとなしい姫様ですが意外にご興味がおありだとお察しいたしました」と倫子に報告します。
赤染衛門は倫子が頼んだ「艶」の意味を勘違いしていました。それを聞いた倫子は一瞬「閨房?」と聞き返します。
赤染衛門が「艶をと仰せでしたので」と言うと、倫子は「艶もだけど、まずは声に出して笑うようにしてほしいのよ。声を出す、声を!」と、それを受け赤染衛門は「閨房の心得としてのお声については・・」と言い、すかさず倫子は、「そうではなくて、普段の声! 閨房はその先のことでしょう?」と、ここでトンチンカンな会話のギャグを持ってくるとは!!
倫子は「閨房以外に知恵はないの?」と赤染衛門にあきれます。このやりとり、、なんでしょうか?

(仲直り)
ケンカして距離を置いていたまひろの夫・宣孝が久しぶりにまひろを訪ねてきました。
宣孝は、大きな役目を任されたと上機嫌で「左大臣様のお計らい」「まひろのおかげ」と言います。
まひろは祝いの言葉を述べ、宣孝が持参した土産である大和の墨と伊勢の紅を素直に喜びます。
これは、いとから言われた「己を貫くばかりでは、誰とも寄り添えない」という言葉に従ったのでした。

この、まひろの態度に宣孝は「憎まれ口をたたかぬまひろは、何やら、恐ろしいのう。あまり人並みになるなよ」と言い、まひろは「では、時々人並みになります」と。
こうして2人は軽口をたたいて笑いあい、仲直りしました。でも、まひろは他の男性と一夜を友にしたんですよねえ・・。
夜、まひろは「殿のくせ いつも顎を上げて話す…」など宣孝のことを記してすごしました。
(まひろ懐妊)
その後、まひろは体調が優れないことを、いとに伝えます。いとは、まひろが懐妊したと答えます。
授かったのは2月だと言うことで、計算すると懐妊のタイミングが、まひろと宣孝との仲が険悪になったころでした。つまり、宿した子は宣孝とのものではなく、道長の子であると確信します。

そのことを宣孝に告げると、宣孝は「お前を失うよりはよい」「二度と申すな」と、まひろに言います。
宣孝は、まひろに子どもが誰の子であっても2人で育てよう。まひろへの想いはゆるがないと伝えます。
(屏風)
藤原定子の懐妊が明らかになり、やがて皇子を産みます。これには一条天皇は大喜びです。
9月。内裏の清涼殿では、晴明が彰子の入内は11月1日がふさわしいと帝に奏上していました。

道長と倫子は、彰子の入内を盛り上げるために豪華な道具を設え、さらに公卿たちが詠んだ歌を藤原行成に清書させ貼り付けた屏風を作ることを考えます。
貴族達から歌を集め、さらに花山院からも歌が届けられて屏風は完成しました。
こうして11月1日に彰子が入内し、6日後の11月7日に定子は皇子を出産します。

(権力への野望)
出産した定子を藤原伊周藤原隆家兄弟が訪ねてきました。
伊周は「これで左大臣も俺たちは無下にはできまい。皇子様が東宮になられれば、再び我らの世となる」と言いますが、隆家は「生まれた皇子様が東宮になられるということは、帝がご退位されるということですよ。帝が退位あそばせば姉上の力も弱まる」と慎重です。

(母と息子)
道長の弟で一条天皇の母である藤原詮子は、一条天皇に会い皇子の誕生を祝います。
しかし、一条天皇は「皇子が私のようになることを望まない」と母の言うとおりに生きてきたことを悔いていると告げます。
そして「母上から逃れたくて朕は中宮にのめりこんで救いを求めていったのです。全てはあなたのせいです」と怒ります。
この息子の言葉に対し詮子は「私がどれだけ辛い想いで生きてきたか、私は父の操り人形で、政の道具だった」と言葉を返すと、一条天皇も「朕も母上の操り人形でした。父上から愛でられなかった母上の慰みものでした」と。・・もうドロドロ・・。
そして非常に気まずい雰囲気の中で一条天皇は詮子を残してその場を去ります。

その後、彰子のところへ向かう一条天皇。彰子の後ろには豪華な屏風があります。
一条天皇は彰子に「そなたのような幼き姫に年寄りですまぬな」と言います。

(それぞれの道)
道長は定子の出産で弱気になっています。
すると安倍晴明は、彰子を中宮にすれば良いと提案します。これは「一帝二后」という当時では考えられない驚くような案でした。

その年の暮れには、道長と妻・倫子の間にも5番目の子が生まれます。そしてまひろも娘を出産しました。
というところで今回は終了。次回に続く