京阪本線中書島駅から歩き京橋をこえて右折すると見えるのが宿屋の寺田屋です。
「寺田屋」と書かれた提灯が目につきます。
(寺田屋は今も営業中)
寺田屋は今も宿屋として営業しています。
昔の建物と思いきや現役なんです。
予約をすれば宿泊もできます。
(歴史に2度登場)
寺田屋は幕末に2度歴史の舞台に登場します。
1回目は、1862年4月23日、寺田屋に薩摩藩急進派有馬新七以下35名が関白九条尚忠と
京都所司代の殺害を計画して集結します。
このとき薩摩藩が鎮圧に向かわせたところ乱闘がおき、有馬以下9名が死亡します。
(龍馬遭難)
2回目は1866年1月23日、宿泊中の坂本龍馬が伏見奉行所に襲われます。
この時竜馬は、高杉晋作からもらった銃で応戦したあと逃げ延び難を逃れます。
これが「寺田屋遭難」です。
その逃げた通りが現在の竜馬通り商店街です。
龍馬はこの通りを走って逃げて材木屋に隠れ、伏見薩摩藩邸に救援を依頼します。
救援依頼を受けた薩摩藩は船を出して救出に向かいます。救出された龍馬は、薩摩藩邸にかくまわれ、西郷隆盛が派遣した軍医の治療を受けます。
そして回復したのちお龍さんと船で鹿児島に向かいます。
これが日本初の新婚旅行と言われています。
(寺田屋に残る龍馬関係)
寺田屋には龍馬関係の物があります。
その後、寺田屋は1866年に起きた鳥羽伏見の戦いで燃えてしまいます。
現在の建物はその後再建されたものです。
(ここで整理)
幕末史には京都に似たような名前の宿が出てくるので、ここでおさらい。
池田屋:1864年7月8日、新撰組が長州藩士など尊王攘夷の志士を殺害した宿
近江屋:1867年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎が殺害された宿
(龍馬の命日に龍馬祭)
2020年(令和2年)11月15日、坂本龍馬の命日にあたるこの日、寺田屋でもイベントがありました。
【龍馬祭について書いたブログはココ】
<<寺田屋への行き方>>