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12月19日は
平将門が自らを新皇と称した日です。
(坂東8か国が独立)
939年、12月19日平将門が上野国府で自らを新皇と称し、岩井(現在の茨城県坂東市)に政庁を置きます。そして独自に坂東8カ国の国司を任命しました。
これで将門が治める坂東8か国は、京都の朝廷に対して事実上の独立地域となり
ました。
京都の朝廷には朱雀天皇がいましたので、この時期には日本に京都の朝廷と将門が治める国の2つの政権が存在したことになります。
(939年は、どんな時代か)
このうち東国で乱を起こした平将門は、桓武天皇を先祖に持つ平氏で、
千葉県西部の下総を本拠地としていた豪族です。
発端は、平将門の一族の争い、抗争でしたが、やがて関東一円を巻き込むものに
広がります。
そして939年11月21日に、平将門は兵を率いて国府を襲撃し長官を捕らえます。
その1か月後の12月には下野、上野の両国府も占領。
そして12月19日に上野国府で新皇を自称し独自の政府を作ります。
しかし京都から追討軍がやってきて翌年940年2月14日、茨城県坂東市の下総猿島郡の合戦で将門は討ち取られ、この反乱は終了しました。
反乱から3か月、新皇として即位したわずか2か月たらずでした。
【都内にある1日で行ける将門ゆかりの地】
(将門首塚)
都内のオフィス街・大手町のど真ん中にある「将門首塚」
京都からの軍勢に打ちとられた将門は、その首は京都の都大路でさらし首になります。
「さらし首になっても、怒りが収まらず将門の首がこの地に飛んできた」という伝説でできたのが、この首塚です。
将門の怨念はすさまじく、この塚に失礼な事をしようとした人がケガをしたり、
最悪の場合は命を落とすなど不幸が相次いだといいます。
その一方で、ご利益もあります。ここにお参りすると「栄転する」らしいです。
<<将門首塚への行き方>>
地下鉄東京メトロ・都営地下鉄の大手町駅C5あるいはC6から出てすぐ
住所:東京都千代田区大手町1-2-1
(神田明神)
ここに祀られている御祭神の中に平将門があります。
神田明神は730年に創建されましたが、元々は現在の場所ではなく、
上記に書いた千代田区大手町の将門首塚があった場所にありました。
現在は、お茶の水に移りましたが、神田明神には、一の宮・だいこく様、
二の宮・えびす様、三の宮・まさかど様の3柱が祀られていて、
この「まさかど様」が平将門のことです。
三の宮・まさかど柱は、勝利のご利益があるそうです。
<<神田明神への行き方>>
御茶ノ水駅より徒歩5分
住所: 東京都千代田区外神田2丁目16-2
(鎧神社)
この神社は、平将門の鎧が埋められていることから、鎧神社と名付けられています。
この松の木が目印です。
940年、平将門が藤原秀衡に討たれると、この地の人々はその死を悼み、
将門の鎧をここに埋めたと言われています。
<<鎧神社への行き方>>
JR大久保駅から徒歩10分程度、 JR東中野駅から徒歩15分程度
住所:新宿区北新宿3-16-18
【史跡将門塚保存会公式HP】
12月18日は、平将門が自らを新皇と称した日です。