日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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亀ケ谷坂切通し

 

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日本初の武家政権である鎌倉幕府が開かれた鎌倉。

この北部に鎌倉市山ノ内から扇ガ谷を結ぶ坂道・亀ケ谷坂切通しがあります。

亀ケ谷坂切通しは、鎌倉七切通しの1つで、北鎌倉から鎌倉に向かう重要な道路です。

「亀ケ谷坂」は「カメが登ることができないくらい急な坂道」という事から由来して

います。

実際に歩きましたが、坂の勾配に加え、崖の壁の絶壁さもすさまじかったです。

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(鎌倉七切通し)

三方を山で囲まれた鎌倉には、外との往来のための「切通し」と呼ばれる、山や丘を

掘削して人馬が通行できるようにした道が7ヶ所あり「鎌倉七切通し」と言われています。

それは、化粧坂(けわいざか)、亀ヶ谷坂(かめがやつざか)、巨福呂坂(こぶくろざか)、

朝比奈峠、名越(なごえ)、極楽寺坂、大仏坂 の7ヶ所で、交通路だけでなく、

敵が攻めてきたときの防御の役目も果たしていました。

 

(亀ケ谷坂切通し)

平安時代末期、1180年に源頼朝が鎌倉に入りますが、その時に、北から鎌倉へ入る

唯一の道だったこの道を通り鎌倉入りしました。

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(交通と軍事の要所)

鎌倉時代、北鎌倉にあった大寺院の僧侶たちは大きな力を持っていました。そのため彼らとつながりを持ち協力関係を持つことは、鎌倉幕府には重要な事でした。

「亀ケ谷坂切通」は13世紀半ばに整備されたと言われる鎌倉七切通しの1つで、北鎌倉にある建長寺円覚寺などの大寺院と、幕府があった鎌倉を結んでいました。

そのため「亀ケ谷坂切通し」は、経済的にも軍事的にも要のひとつとなっていました。

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【亀ケ谷坂切通に掲げられた看板から】
 

<<亀ケ谷坂切通の行き方>>

北鎌倉駅」下車徒歩15分程度
住所:鎌倉市山ノ内~扇ガ谷3

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