この北部に鎌倉市山ノ内から扇ガ谷を結ぶ坂道・亀ケ谷坂切通しがあります。
亀ケ谷坂切通しは、鎌倉七切通しの1つで、北鎌倉から鎌倉に向かう重要な道路です。
「亀ケ谷坂」は「カメが登ることができないくらい急な坂道」という事から由来して
います。
実際に歩きましたが、坂の勾配に加え、崖の壁の絶壁さもすさまじかったです。
(鎌倉七切通し)
三方を山で囲まれた鎌倉には、外との往来のための「切通し」と呼ばれる、山や丘を
掘削して人馬が通行できるようにした道が7ヶ所あり「鎌倉七切通し」と言われています。
それは、化粧坂(けわいざか)、亀ヶ谷坂(かめがやつざか)、巨福呂坂(こぶくろざか)、
朝比奈峠、名越(なごえ)、極楽寺坂、大仏坂 の7ヶ所で、交通路だけでなく、
敵が攻めてきたときの防御の役目も果たしていました。
(亀ケ谷坂切通し)
平安時代末期、1180年に源頼朝が鎌倉に入りますが、その時に、北から鎌倉へ入る
唯一の道だったこの道を通り鎌倉入りしました。
(交通と軍事の要所)
鎌倉時代、北鎌倉にあった大寺院の僧侶たちは大きな力を持っていました。そのため彼らとつながりを持ち協力関係を持つことは、鎌倉幕府には重要な事でした。
「亀ケ谷坂切通」は13世紀半ばに整備されたと言われる鎌倉七切通しの1つで、北鎌倉にある建長寺や円覚寺などの大寺院と、幕府があった鎌倉を結んでいました。
そのため「亀ケ谷坂切通し」は、経済的にも軍事的にも要のひとつとなっていました。
【亀ケ谷坂切通に掲げられた看板から】
<<亀ケ谷坂切通の行き方>>