吉野には、この地に逃れ、南朝を作り、いつか京都に戻り天皇中心の政治をおこしたいと思いながらも夢かなわず吉野の地で命を落とした後醍醐天皇の御陵があります。
(如意輪寺)
奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺院如意輪寺(にょいりんじ)。
901~22年の創建と伝えられています。
1336年には後醍醐天皇および南朝歴代天皇が、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建した寺・勅願寺とされました。
この本堂の後ろには、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵があります。
こちらの階段を登ります。
こちらです。
(激動の人生・後醍醐天皇)
後醍醐天皇の人生を見ますとなかなか激動です。
1324年には鎌倉幕府転覆を企画した疑いがかけられます(正中の変)
1331年には、鎌倉幕府打倒の挙兵。失敗して隠岐に流されます。(元弘の乱)
1335年、足利尊氏と後醍醐天皇が対立し足利尊氏が挙兵したため建武の新政は崩壊。
1336年、足利尊氏は京都に新しい天皇=光明天皇を立て(北朝)、後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れそこに朝廷を作ります(吉野朝廷・南朝)。
【吉野朝廷について書いたブログはココ】
【吉野南朝の皇居について書いたブログはココ】
1338年、足利尊氏が北朝から征夷大将軍に任じられ京都に室町幕府誕生。
1339年、京都に戻る夢を抱きつつ吉野で崩御。
…激動の時代です。
なお、この後醍醐天皇陵は、如意輪寺の説明によれば 京都奪還を望んでいた後醍醐天皇の意志に基づき、日本で唯一の北面の陵ということです。
<<後醍醐天皇陵への行き方>>
ロープウエィの吉野山駅から歩いて50分程度(おっさんは歩いたけど山道なので、
かなり疲れました)車がいいです。
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】