化粧坂(けわいざか)は「けわいざか」と読みます。
仮粧坂(けはいざか)とも表記します。
「化粧」は、通常は「けしょう」と読み、「白粉での化粧」の意味ですが、「けわい」と読むときもあり、それは「身だしなみを整える」と言う意味に使われます。
(鎌倉七切通)
三方を山で囲まれた鎌倉には、外との往来のための「切通し」と呼ばれる、山や丘を
掘削して人馬が通行できるようにした道が7ヶ所あり「鎌倉七切通」と言われています。
それは、化粧坂(けわいざか)、亀ヶ谷坂(かめがやつざか)、巨福呂坂(こぶくろざか)、
朝比奈峠、名越(なごえ)、極楽寺坂、大仏坂 の7ヶ所で、交通路だけでなく、
敵が攻めてきたときの防御の役目も果たしていました。
(物凄いデコボコで急こう配の化粧坂)
化粧坂切通しは、急勾配が凄まじく、また山道のようでデコボコのため非常に通りにくいです。
しかし、ここを通り抜けるとわずか10足らずで、源頼朝像がある源氏山公園に到着します。
実際に歩きましたが、これは整備されていない道じゃないかと思うくらい
歩くのに不便な道です。
通の看板がそれを物語っています。
地面が整備されている場所もありますが、昔は当然、このようではないため
足がぬかるんだりして、歩きにくかったと思います。
歩き終わると、頼朝像がある公園に到着します。
(新田義貞があきらめた険しさ)
化粧坂切通しは、鎌倉幕府末期の1333年5月18日、新田義貞が鎌倉を攻めた時、
最大の激戦地となった場所です。
ここは、わずか80m程の坂道ですが鎌倉幕府軍の抵抗が激しく、新田軍は、4日後の
21日になっても突破できませんでした。
結局、義貞は、化粧坂から鎌倉に攻め入ることはできず、稲村ヶ崎の南端を迂回して、鎌倉入りしました。
まあ、歩いて見て感じるのは、急こう配だしデコボコ道だし、狭いしとにかく歩きにくい。ここを思い鎧をつけ武装した侍が下から上がっていくのはなかなか大変だと。
そして鎌倉幕府軍は上から攻撃するのだから、それは攻撃しやすいだろうと感じます。
(化粧坂の由来)
この急こう配のデコボコ道は、「化粧坂」という上品な名前です。実際とはかけ離れているネーミングと思いますがこの由来は何でしょうか?
「化粧坂」の名の由来としてが、
・平家の大将の首を化粧し首実検したから
・この辺りに遊女がいて、、その化粧から
などの説があります。
鎌倉時代と言いますから700年近く前のことですが、その名残を伝える
化粧坂、機会があれば歩いて体験して見て下さいね。
<<化粧坂切通しへの行き方>>
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩20分
住所:鎌倉市扇ガ谷源氏山公園付近