(八紘一宇)
戦前によく使われた「八紘一宇」、軍関係の史跡や資料で、この文字が刻まれているのを見かけた方もいると思います。
有名なのは、宮崎市にある平和の塔(八紘之基柱、八紘一宇の塔)ですね。
「八紘一宇」・・・戦前、特に日中戦争以降よく聞かれた言葉です。
「世界を一つの家のようにすること」、「世界を一つの家にすること」という意味です。
(「八紘一宇」を造語した田中智学)
この「八紘一宇」を造語したといわれる日蓮宗の宗教家・田中智学が詠んだ歌碑が
宮崎市の皇宮神社があるいっかくにあります。
皇軍発祥之地、この左側に田中智学の歌碑があります。
歌碑に刻まれた、田中智学の歌。
「日の本の本の光と仰ぐかな 朝日たださす みや崎の宮」と読めます。
田中智学が皇宮神社を参拝したときに詠んだ歌を石に刻んだもので
1935年(昭和10年)5月28日に完成しています。
(「八紘一宇」の誕生)
田中智学は1913年(大正2年)3月11日「国柱新聞」に連載していた「神武天皇の建国」で「八紘一宇」を使用しています。
田中は、日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」 に書かれている「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。) の「掩八紘而為宇」から「八紘一宇」のスローガンを造語しました。
さらに1925年(大正14年)3月27日、陸軍が主催した軍事教育講習会では「神の國」と題した講演を行い、「八紘一宇とは 六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為す すなわち万邦を一つの家にする。八紘一宇。すなわち世界統一だ」と述べています。
1940年(昭和15年)、この年は皇紀2600年にあたりますが、その8月、近衛首相が基本国策要綱で大東亜新秩序を掲げ「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく 建国の意味)の大精神に基」とのべています。
(GHQの命令で公での使用禁止に)
日本が太平洋戦争で負けGHQの支配下になると、1945年(昭和20年)12月22日にGHQは「神道指令」を出し「八紘一宇」の用語は国家神道、軍国主義、過激な国家主義と
切り離すことができない言葉として公文書での使用を禁止します。
なお、この田中智学の歌碑がある場所には、皇宮神社、神武天皇の旧居、皇軍発祥之地碑があります。
田中智学の歌碑は皇軍発祥之地碑の傍らにあります。
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