この巨大な塔。太平洋戦争中に陸軍の落下傘部隊が当時使用していた給水塔です。
今もその形を残しています。
この給水塔があるのは、宮崎県中西部の都市・川南町(かわみなみちょう)。
この給水塔の大きさは付近の住宅と比較すると、その大きさがわかると思います。
おっさんもすぐ下に立ってみました。わかりますか、
こうして比較すると、この塔は大きいですよね。
(軍都・川南)
1941年(昭和16年)宮崎県の川南唐瀬原(からせばる)地区に陸軍の落下傘部隊が
創設されます。
現在、独立行政法人国立病院機構宮崎病院の敷地にぽつんと建つコンクリート製の高さ28メートルの建物。この給水塔は当時の姿で唯一残るもので第3連隊が使っていたそうです。
川南町観光協会がまとめた「空挺落下傘部隊」によると、延べ30万人以上が動員され、現在の東小付近に1500メートルの滑走路を持つ唐瀬原飛行場や、落下傘降下場、司令部、戦車隊、通信隊、陸軍病院などが整備され、唐瀬原一帯に四つの連隊が
駐屯したそうです。
(陸軍落下傘部隊)
この落下傘部隊では猛訓練が繰り広げられ、その姿は、青空に真っ白な落下傘が次々と広がり、実に綺麗だったと地元の人が話していました。
そして猛訓練を終えた落下傘部隊約300人が、1942年(昭17年)年2月14日にオランダ領のスマトラ島のパレンバンに出撃します。
落下傘で降下して当時世界最大規模だった石油資源を獲得する作戦に成功します。
その勇姿は「空の神兵」と称えられ軍歌まで作られます。
【日本ニュース:陸軍落下傘部隊のパレンバン攻略を報じる当時の大本営発表】
しかし、その後は戦局が悪化し、唐瀬原で訓練した1万2千人のうち1万人が
レイテ島、ルソン島、沖縄などでなくなったそうです。(川南町史)
近くにある川南護国神社には1万余の英霊が合祀され、境内には「空挺落下傘部隊発祥之地」と刻まれた石碑が建立されています。
ただし、おっさんが時間がなく、この川南護国寺社には行けませんでした。
いつか行きますよ!
【川南町役場HPに記載された落下傘部隊の記事】
<<川南町落下傘部隊の給水塔への行き方>>
住所:宮崎県児湯郡川南町大字川南1366-1
レンタカーで行った方がいいです