新宿区戸山にある都立戸山公園箱根山周辺に、かつて陸軍戸山学校がありました。
東京都新宿区戸山に校舎があったところから「陸軍戸山学校」と呼ばれていました。
ここでは射撃・銃剣術・剣術・攻守戦法などの歩兵戦技、歩兵部隊の戦術、体育・軍楽の教官・生徒の育成と研究を行っていました。
(石碑に書かれた文)
この地は和田戸という武士の館の跡で源頼朝が源氏の勢ぞろいをした所と伝えられ後代和田戸山と呼ばれた。
寛文年間尾張徳川侯の下屋敷となり殿堂宮祠等かずかずの建物と箱根山を中心とし東海道五十三次に擬した風雅な庭園が造成された。
明治6年その地に兵学寮戸山出張所が設けられ翌7年陸軍戸山学校と改称されて以来約70年にわたって軍事の研究教育が行なわれ国軍精強の基を培ったばかりでなく国民の体育武道射撃音楽の向上に幾多の寄与をした記念すべき地である。
この度東京都がこの地に緑の公園を整備されるにあたってこの記念碑を建てて東京都に贈る。
昭和42年11月 元陸軍戸山学校縁故有志一同
(歴史)
1873年(明治6年)6月に張徳川家の尾張藩屋敷跡地に陸軍兵学寮戸山出張所が設立され、
上下士官の訓練事務が始まりました。
1874年(明治7年)2月4日には、 陸軍兵学寮戸山出張所は陸軍戸山学校と名前を変え
ます。
当初はフランス陸軍から教官を招聘し、フェンシングとフランス式銃剣術を訓練していましたが、後に日本式の軍刀術と銃剣術に改めています。
また軍刀操法も研究されていて、これは居合道流派の戸山流となっています。
そして終戦後の1945年(昭和20年)9月10日に閉校します。
1903年(明治36年)に刊行された「日本陸海軍写真帖」に記載されていた
(今も残る陸軍戸山学校の面影)
(野外演奏場跡)
また、ここには陸軍を代表する陸軍戸山学校音楽隊もありました。
戸山公園内にある箱根山近くには、今も野外演奏場跡が残っていました。
(将校集会所の跡)
陸軍戸山学校将校集会所の跡と言われる建物がありました。
現在は幼稚園と教会になっていて、半地下式の石造りの土台に建っています。
現在は「戸山教会・戸山幼稚園」として使用されています。
この半地下式の石造りの部分が将校集会所の跡とされています。
半円形の石組みが美しいです。
(その他)
なお、この陸軍戸山学校があったとされる箱根山は23区内で1番高い山です。
【東京23区最高地点について書いたブログはココ】
その他、戸山公園周辺には陸軍の射撃場跡があります。
【陸軍射撃場について書いたブログはココ】
(おまけ)
★陸軍中野学校にも行きました。その模様はココ↓
【陸軍中野学校について書いたブログはココです】
<<陸軍戸山学校跡地への行き方>>
新宿区戸山2丁目7
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かつて新宿に
陸軍戸山学校がありました。