日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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南風原町喜屋武に建つ「南風原陸軍病院壕址の碑」 

米軍の艦砲射撃が始まった
1945年(昭和20年)3月下旬から、
本島南部への撤退命令が出された5月下旬まで
使われた沖縄陸軍病院南風原壕。
この壕は、黄金森と現在の南風原町役場近くの丘に
掘られた人工壕の野戦病院でした。

(黄金の森にある南風原陸軍病院壕址の碑)
南風原町の中心部にある黄金森の中に「南風原陸軍病院壕址の碑」が建立されています。

ここ一帯には、戦争中に多数の人工壕が作られ、日本陸軍隷下の第32軍直轄部隊である「沖縄陸軍病院」が、野戦病院として使用していました。
この中では軍医・衛生兵・看護婦の他、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり部隊」が活動していました。
(重傷患者二千余名自決之地)
南風原陸軍病院壕趾」碑には、「重傷患者二千余名自決之地」と刻まれています。
「二千人以上も自決したのか‼‼」と驚きますが、町によりますと、この数字に確かな根拠はなく、犠牲者の数はいまだ明らかではありません。

(ロ5号壕跡)

南風原陸軍病院壕址の碑」の奥の山の斜面には「ロ5号壕跡」があります。

ここがロ5号壕です。終戦後しばらくは入ることが出来たそうです。

1壕には数字やイ・ロの言葉が当てられました。イロハからとっています。ただ「4」は「死」につながるため、イ4号壕、ロ4号壕などという壕はありませんでした。

ロ5号壕は、第一外科壕群(元外科)の壕の1つです。ロ5号壕は負傷した兵士を収容する壕の一つです。内部の両側にはベッドが設けられ、患者も多くいました、しかし、壕専属の軍医や看護婦はおらず、巡回にきていたようです。

文化センターの裏手側の斜面に「ロ」の壕列、その反対側の斜面に「イ」の壕列がそれぞれ5~6列あったようです。また、1945年5月16日には砲弾により壕入口でひめゆり学徒の1人が命を落としました。

現在は病院壕の中の20号壕のみが一般公開されています。👇

<<南風原陸軍病院壕址の碑への行き方>>

車で行きましょう 南風原町南風原文化センターが目印です
住所:沖縄県島尻郡南風原町喜屋武

 

この地で医療従事者や負傷した兵士が
命を落としています。

亡くなられた方の御冥福をお祈りします。