東京都には羽田空港以外にも飛行場があります。
調布市にある東京都営の調布飛行場です。
(東京都営の飛行場)
調布飛行場は、1973年(昭和48年)3月に米軍から全面返還され、1979年(昭和54年)に調布ー新島間の不定期便の東京都営の飛行場として運用を開始しました。
現在、調布飛行場は、大島や新島など伊豆諸島への小型機の定期便が発着するコミューター空港です。
伊豆諸島(大島、新島、神津島、三宅島)へのドルニエ228が発着しています。
調布〜大島は25分、三宅島までは50分のフライトです。
(ターミナルから歩いて搭乗)
飛行場の面積は39ha。滑走路は、全長800m、幅30mで搭乗には、ターミナルから歩いていきます。
こちらが管制塔です。
(調布飛行場ターミナル)
調布飛行場は2階建てのコンパクトなターミナルです。
1階がチェックインカウンターと搭乗待合室、そして「プロペラカフェ」があり、2階は展望デッキがあります。
(かつては東京の空を守った飛行場)
調布飛行場は、太平洋戦争中は、東京の空を守った「陸軍調布飛行場」でした。
現在の調布飛行場は滑走路が南北に1本だけですが、戦時中はこのほか東西にもう1本あり、飛行第244戦隊の三式戦闘機「飛燕」や五式戦闘機が出撃していました。
陸軍の三式戦飛燕は、B29が東京上空に近づくと調布飛行場から迎撃に向かいます。
B29は高度1万メートルを飛行しますが、飛燕はそこまで行けないため、武器や装備を外し機体を軽くして、1万メートルにいきました。装備を取り外したため、体当たりをしてB29を撃墜していました。
【1945年(昭和20年)1月9日 調布飛行場から出撃する震天制空隊のニュース映像】
(飛行場周辺に今も残る陸軍飛行場の名残り)
調布飛行場周辺には陸軍時代の名残が今も残っています。
玉石を敷き詰めた排水溝、当時の姿です。
大沢五丁目バス停近く、飛行場の隣を走る道路。その両脇にある門柱は陸軍調布飛行場の正門として設置された当時の物です。
しかし、門柱に刻まれた文字を見ると。。
東東調布飛行場?
「東京」と掘られていたものを誰かが手をくわえて「東東」に代えたと言われています。確かによくみると「京」の文字が細工されたような気もします。だめですよ!!
(今も残る掩体壕などの戦争遺跡)
陸軍調布飛行場の周辺には、飛行機を敵の空襲から隠す掩体壕が130基設置されました。しかし、その多くは戦後に取り壊されました。
陸軍調布飛行場の周辺に現存している掩体壕は、府中市と三鷹市に2基ずつ、合計4基
だけだそうです。うち1つは個人所有で非公開です。
飛行場の北側から西側にかけては、都立武蔵野の森公園があり、そこには
大沢1号掩体壕、大沢2号掩体壕の2つが保存されています。
①大沢1号
【大沢1号について書いたブログはココ】
②大沢2号
【大沢2号について書いたブログはココ】
③白糸台掩体壕
【白糸台掩体号について書いたブログはココ】
④首都防衛高射砲
近くには高射砲もありました。
⑤国領稲荷神社での悲劇
さらにB29撃墜に関する悲劇も起きています。
上記の場所は近いので1日で全部まわれますよ。
【東京都港湾局公式HP 調布飛行場】
<<調布飛行場への行き方>>
京王線調布駅まで大沢コミュニティーセンターバス停よりバス15分
京王線調布駅から小田急バス調布飛行場行きで終点下車
住所:東京都調布市西町290-3
調布飛行場管理事務所 TEL:0422-34-4840
かつては東京の空を守る陸軍の飛行場があったこの地には
今は伊豆諸島に向かう調布飛行場があります。