伊豆諸島への玄関口である「調布飛行場」は、太平洋戦争中は、帝都の防衛拠点・
「陸軍調布飛行場」でした。
現在の調布飛行場は滑走路が南北に1本だけですが、戦時中はこのほか東西にもう1本ありました。
この調布飛行場から、飛行第244戦隊の三式戦闘機「飛燕」や五式戦闘機が帝都防空のため出撃していました。
陸軍の三式戦飛燕は、B29が東京上空に近づくと調布飛行場から迎撃に向かいます。
ただし、B29は高度1万メートルを飛行しますが、飛燕はそこまで行けないため、武器や装備を外し機体を軽くして、1万メートルにいきました。装備を取り外したため、体当たりをしてB29を撃墜していました。
【1945年(昭和20年)1月9日 調布飛行場から出撃する震天制空隊のニュース映像】
(今も残る陸軍飛行場の名残り)
調布飛行場には陸軍時代の名残が今も残っています。
玉石を敷き詰めた排水溝、当時の姿です。
大沢五丁目バス停近く、飛行場の隣を走る道路。その両脇にある門柱は陸軍調布飛行場の正門として設置された当時の物です。
しかし、門柱に刻まれた文字を見ると。。
東東調布飛行場?
「東京」と掘られていたものを誰かが手をくわえて「東東」に代えたと言われています。確かによくみると「京」の文字が細工されたような気もします。だめですよ!!
(今も残る掩体壕などの戦争遺跡)
陸軍調布飛行場の周辺には、飛行機を敵の空襲から隠す掩体壕が130基設置されました。しかし、その多くは戦後に取り壊されました。
陸軍調布飛行場の周辺に現存している掩体壕は、府中市と三鷹市に2基ずつ、合計4基
だけだそうです。うち1つは個人所有で非公開です。
飛行場の北側から西側にかけては、都立武蔵野の森公園があり、そこには
大沢1号掩体壕、大沢2号掩体壕の2つが保存されています。
①大沢1号
【大沢1号について書いたブログはココ】
②大沢2号
【大沢2号について書いたブログはココ】
③白糸台掩体壕
【白糸台掩体号について書いたブログはココ】
④首都防衛高射砲
近くには高射砲もありました。
⑤国領稲荷神社での悲劇
さらにB29撃墜に関する悲劇も起きています。
上記の場所は近いので1日で全部まわれますよ。
<<調布飛行場への行き方>>
住所:東京都調布市西町290−3
今では伊豆諸島に向かう調布飛行場、
かつては東京の空を守る陸軍の飛行場がありました。