太平洋戦争中に敵の空襲から航空機を避難させるために作られた掩体壕。
この掩体壕は、日本各地にありますが、築城海軍航空隊に近い、福岡県行橋市稲童地区には、大型の飛行機を格納する巨大な掩体壕が作られ、今も残っています。
(築城海軍飛行場)
「築城海軍航空隊」は1942年(昭和17年)10月に宮崎県富島町(現・日向市)に開隊し、1943年(昭和18年)6月に福岡県の築城に移転して本格的に活動を行います。
福岡県東部のこの地区に飛行場が作られたのは、瀬戸内海や関門海峡を控えた内海航路の要衝であり、また洋上爆撃や電撃作戦や訓練がやりやすかった点が考えられます。
築城飛行場の面積は145万㎡で、長さ1800m、幅50mの滑走路が、周防灘に向かって
伸びていて、ここで戦闘機乗組員の訓練や教育が行われました。
飛行場の北部にあたる稲童地区には、屋根のある「有蓋掩体壕」が7基前後、「コ」字状の土塁で飛行機を囲んだ屋根の無い「無蓋掩体壕」が、13前後つくられました。
(とにかくデカイ掩体壕)
これまで調布飛行場や館山などで掩体壕を見てきましたが、その大きさを遥かに上回る大きさです。
初めて見たときはその大きさに驚きました!!
下の写真が稲童1号掩体壕の全景ですが、身長175センチのおっさんが壕の前に立って
両手を広げてみました。
これは日本最大級の掩体壕なのではないでしょうか??
稲童1号掩体壕は、入口幅26.8m 入口高5.5m 奥行き23.5m 盛土幅42.0m 盛土高8.5m と大規模な造りです。
それもそのはず、この掩体壕には、夜間戦闘機「月光」、陸上爆撃機「銀河」、さらに「一式陸上攻撃機」など大型の双発機が格納されていました。
以前はこの掩体壕の中に入り中を見ることが可能でしたが 今は建物の老朽化による
崩壊の危険があるため中には入れないとのことでした。
また、掩体壕には飛行機の滑走路跡が残っていました。
とにかく大きなこの稲童1号掩体壕。その建設には兵士のほか、朝鮮人労働者、地域住民や地元の学生などが動員されています。
(空襲の目標に)
稲童地区は、飛行場に隣接し、掩体壕など多くの軍事施設があったことから空襲の攻撃
目標となっています。
掩体壕の壁面には米軍機の機関銃の弾痕や爆弾の跡などが残っています。
終戦直前の1945年(昭和20年)8月7日に起きた空襲では、格納されていた夜間戦闘機「月光」が炎上しています。
また、太平洋戦争末期には、築城飛行場は、特攻隊の出撃や中継の基地にもなり、ここから多くの兵士が飛び立っていきました。
現在、飛行場は、行橋市、築上町にまたがり「航空自衛隊築城基地」として利用されています。
<<稲童1号掩体壕への行き方>>
住所: 福岡県行橋市稲童1095-17
この巨大な掩体壕、正直初めて見たときは驚きました!