戦時中に造られた、戦闘機などを守る格納庫・掩体壕。
宮崎県新富町には、陸軍の新田原(にゅうたばる)飛行場があり、周囲には掩体壕が
4体現存しています。
現存する掩体壕は、頑丈な分厚いコンクリートで造られた屋根がある有蓋掩体壕です。
4基のうち3基を見てきました。
まずはこれ。
基地のすぐ隣にある畑の中にポツンとあります。
そこから少し離れた場所にある別の掩体壕。
畑の中にあるためか農機具が置かれていました。
コンクリートが分厚いのが印象です。
戦争中に作られたので80年ほど前に作られたものですが、つくりは頑丈です。
こちらは掩体壕の後ろ。。
さらに離れたところにもう1基
こうして太平洋戦争当時の遺物があると
学校教育や平和学習に使えないかなあと思います。
(新田原基地は陸軍飛行場だった)
これらの掩体壕がある陸軍航空隊の新田原陸軍飛行場は、戦前の 1940年(昭和15年)に
完成します。
翌年の9月には落下傘部隊の陸軍挺進練習部(106部隊)が移住してきます。
そして終戦の年・1945年(昭和20年)4月頃になると、ここは陸軍特攻隊の経由地や出撃基地となります。
この飛行場からは71名の特攻隊員7が出撃し全員が戦死したそうです。
やがて、米軍の激しい空爆を受け使用停止となり終戦を迎えます。
(航空自衛隊新田原基地に)
新田原飛行場は、終戦後には、飛行場は民間に農地として払い下げられます。
しかし、1957年(昭和32年)12月1日 、飛行場は、航空自衛隊新田原基地になります。
現在、航空自衛隊新田原基地には、東西に延びる滑走路が1本設置されていて、ここにはF-15戦闘機などが配備されています。
ちょうど、見に行ったとき偶然、ジェット機が発信しましたので、急いで撮影しました。
この写真、拡大して見るとジェット戦闘機が発信しているのがわかります。
航空機を撮影しようという撮影マニアの方が集まる場所としても有名です。
<<新田原の掩体壕への行き方>>
新田原の掩体壕、ほぼ手つかずの状況で現存しています。