1879年(明治12年)4月4日
「琉球藩」が廃止され
新たに「沖縄県」が設置されました。
(宮古島島民遭難事件)
琉球は清国と薩摩への両属という体制をとりながらも、独立国家の体裁を保ち、独自の文化を維持してきました。
しかし、日本は琉球を自国に取り入れたいと考えていました。
そして日清修好条規の結ばれた1871年(明治4年)11月18日、琉球王国の首里王府に
年貢を納めて帰る途中の宮古、八重山の船4隻のうち、宮古船の1隻が台湾近海で遭難します。
このとき、台湾東南海岸に漂着した69人のうち3人が溺死します。台湾山中をさまよった生存者のうち54名が台湾原住民によって殺害されるという事件がおきます。 これが「宮古島島民遭難事件」あるいは「琉球漂流民殺害事件」とも言われています。
明治政府は、この事件をきっかけに琉球を日本の領土に正式に編入したい意向を、さらに強めていきます。
しかし、それには琉球側と清国の反対がありました。
(明治政府軍を琉球に派遣)
1879年(明治12年)3月27日、明治政府は軍隊を琉球に派遣します。
そして王宮の首里城を明け渡しをさせます。
4月4日、「琉球藩ヲ廃シ沖縄県ヲ被置ノ件」と琉球版の廃藩置県を布告し、これにより琉球王府は廃止されました
この廃藩置県で沖縄は日本政府の支配下に置かれ、現国王の尚泰から県令の鍋島直彬(なおよし)に実権が移ります。
これにより450年続いた琉球王国は滅亡し、沖縄県として日本に併合されました。
その後、沖縄は太平洋戦争中に日米の地上戦が行われ、米軍の占領下になります。
そして1972年(昭和47年)5月15日に、アメリカから日本に復帰します。
・・・・ということで