日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

【鹿児島の特攻隊関連施設を巡る⑧】 知覧から出撃した特攻隊員の心の寄り所・富屋食堂 

特攻基地慰霊の旅・・

祖国や故郷のために自らの命を捧げた先輩方に対し感謝と追悼の想いを込め、鹿児島をおとずれ
特攻基地に足を運びました。特攻兵士の面倒をみた食堂が再現されていました。

知覧から出撃した特攻隊員の食事などの世話をした「富屋食堂」がありました。
この富屋食堂を営んでいたのが鳥濱トメさんで、特攻隊員から「お母さん」と呼ばれ
親しまれていました。
その富屋食堂を,当時の場所に忠実に再現した資料館が「ホタル館 富屋食堂」です。

富屋食堂は1929年(昭和4年)トメさんが27歳の時に開業します。当初は、うどんや
そばを出すごく普通の食堂でした。

やがて軍の指定食堂になり兵隊さんがたくさん利用するようになります。富屋食堂では、食事の他、兵隊さんの身の回りの世話などもしていました。
そして兵隊さん達から慕われ「お母さん」と呼ばれるようになります。


1945年(昭和20年)に知覧飛行場から特攻隊が連日のように出撃するようになります。
【知覧特別攻撃隊について書いたブログは下をクリック】

出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした隊員たちはまだ10代から20代前半の若者達でした。
トメさんは隊員らをわが子のように慈しみ、私財を投げ打ってまでも親身に接しました。

 

(知覧特攻平和観音像設立)

終戦後、知覧飛行場は進駐してきたアメリカ兵に破壊されて無くなってしまいます。
そこでトメさんは、跡地に木の棒を立て、それを慰霊碑として生花や線香をそなえ続け特攻隊員への慰霊を続けました。

戦争中は国民から敬意の目でみられた特攻隊員たちでしたが、終戦とともに一変し世間から冷たい視線を浴びるようになります。

周囲の厳しい非難の中、トメさんは、特攻隊に対する感謝と慰霊を続けました。
そして町長に何度も働きかけ1955年(昭和30年)9月28日に知覧陸軍飛行場跡地に特攻隊員の精神の顕彰と世界平和の祈念を目的とした知覧特攻平和観音堂が完成します。

 

トメさんは1992年〔平成4年〕に89才で亡くなりますが、2001年(平成13年)に富屋食堂が「ホタル館 富屋食堂」として復活し、今は特攻隊員の遺書や写真が多数展示されています。

ちなみにホタル館のホタルとは 特攻隊員が出撃前に 死んだらホタルになって戻ってくるよ と話していて 出撃後に本当にホタルが飛んできたという実話にちなんでいます。

 【ホタル館 富屋食堂 公式HP】


南九州市公式HP ホタル館 富屋食堂】

 

 

<<ホタル館 富屋食堂への行き方>>
車でいきましょう
・JR鹿児島中央駅から約55分

知覧特攻平和会館から車で5分

住所:鹿児島県南九州市知覧町郡103-1 0993-58-7566

9:00-17:00開業 年中無休

 

祖国のために命を捧げた兵士の面倒をみていたホタル館、色んな歴史やドラマをみてきました