日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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朝鮮戦争当時、奈良・平城京周辺にRRセンター(奈良RRセンター)があったことを忘れてはいけない!!

朝鮮戦争のとき地理的条件から
重要な拠点となった日本は
同時に米兵の性処理の重要な拠点ともなりました。

そして奈良の平城京周辺には、
日米両国の協定で設立された
RRセンターという施設があり、
その周辺で、生きるために米兵相手に
日本女性の性が捧げられていた!という事を
忘れてはいけません!

 

平城京朱雀門周辺にRRセンター設立)

奈良の平城京朱雀門
かって奈良の都として栄えたこの一帯は、朝鮮戦争当時には、RRセンター=Rest& Recreation Centerがあり、一帯は米兵相手の性の一大娯楽施設となっていました。

 

朝鮮戦争で戦う兵士の休息のために)

1950年(昭和25年)6月25日、北朝鮮軍が突如南下をはじめ朝鮮戦争が勃発します。
地理的な条件から日本は朝鮮半島への出撃基地、物資の輸送などの点で重要な拠点と
なります。
と同時に連合軍兵士の性処理の場にもなっていきます。

朝鮮半島での北朝鮮軍と米軍との戦いは熾烈を極めたため、激闘を繰り広げる米兵への慰問の一環として、米軍は帰休制度を設けます。
この制度では、朝鮮戦争の前線で戦う米兵が、5日間の休養を与えられ、日本に戻ります。そして日本での休養施設としてRRセンターが設けられました。

 

(日米両国の行政協定でRRセンター設営)
RRセンターは、日米安保条約に基づく両国の行政協定によって作られたもので、当初は横浜、大阪、小倉の3か所がありました。
朝鮮半島で戦闘行為を行う米兵が5日間だけ帰休して、休息や元気回復を目的で宿泊する施設=RRセンター。Rest& Recreation Centerです。
このRRセンターの周辺では、米兵のための性的サービス産業が、盛んに、かつ大規模に行われ、多くの日本人女性が「米兵相手の慰安婦」として提供されていました。

太平洋戦争でやぶれ、日本は史上初めて外国の支配下に置かれます。食料も物資も不足し日々の暮らしも苦しい日本人に対し、占領軍は、自分たちが支配しているという優越感を持ち、食料や物資も豊かでした。
そこで、生き抜くためには米兵たちに性を売るという悲しい歴史がありました。

 

平城京の周辺に)

1952年(昭和27年)51日、大阪にあったRRセンターが奈良県奈良市横領町、現在の平城京跡周辺に設置されました。

奈良RRセンターがおかれた場所は、戦前は軍需工場でしたが、戦後は米軍に接収され占領軍第六軍の将兵四個連隊の宿舎として利用されていました。

セキスイ化学の工場敷地を含むこの土地一帯には宿泊施設、さらに劇場、クラブ・バーなどが80余りの店がならぶ米兵専用の巨大な歓楽施設となり、ネオンが輝き、にぎわっていたそうです。

奈良RRセンターの収容能力は500人ほどで、宿泊施設ですから、それ自体は性的慰安施設ではありませんでした。

その周辺に、米兵を相手に性ビジネスをしよう と全国から3,000人ともいわれる女性が集まり、奈良RRセンター一帯は、巨大性売買の地となっていきました。

 

(奈良駐留軍サービス協会)

奈良RRセンターの高まる人気とともに、性病の拡大を危惧した奈良地区司令官ロング大佐は、奈良県に対し性病の予防策をするように申し入れます。
そして7月、奈良県の指導の下で、奈良RRセンター周辺の飲食店業者たちが中心となり、奈良駐留軍サービス協会(日星会)が設立され、同協会に所属する売春婦300名に身分証明書が発行されます。

また、売春婦は県立奈良病院で週一回、性病の検診を行いました。そして性病にかかっていない女性は、N・E・Sと画いたバッジを胸につけて、米兵に安全だということを知らせます。米兵はこれをもとに交渉していたそうです。
ここで、重要なのは「奈良県の指導の下」、つまり米兵の性処理に自治体がかかわっていたのです。

(神戸に移転)

こうして朝鮮戦争の米兵の性処理として大繁盛をしていた奈良のRRセンター一帯ですが、風紀と治安の悪化が進んだことから反対運動が激しくなります。
そして1953(昭和28)年8月、神戸への移転が決定し翌9月には奈良RRセンターは閉鎖され、ここよりもさらに収容規模が大きい神戸へ移転しました。

 

(映画「狂宴」)

1954年(昭和29年)に「狂宴」というタイトルの映画が作られます。奈良RRセンターの立地前後の状況を描いた映画です。

関川秀雄監督のモノクロ80分で、春秋プロの第1作です。この映画には閉鎖後のRRセンター現地で撮影されています。

 

 (RAAと同様に見逃してはいけない悲しい出来事) 

進駐軍用の性処理と言えば、日本政府は敗戦直後に進駐してくる占領軍の性の防波堤としてRAA(Recreation Amusement Association)を設置しています。


そして、朝鮮戦争の時にも同じようなことが行われていたのです。
生き抜くために、貧しい暮らしから脱却するために、性を売らざるを得なかった・・・
そういう状況がありました。

朝鮮戦争当時、作られたRRセンター。
忘れてはいけない悲しい事実です。