1945年(昭和20年)7月30日、
日本海軍の伊号第五十八潜水艦が、
広島へ投下予定の原爆部品の輸送を終え
レイテ島へ向けて航海中だった
アメリカの巡洋艦インディアナポリスを撃沈します。
(アメリカの巡洋艦インディアナポリス)
インディアナポリスは、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦です。
1945年(昭和20年)7月26日、広島へ投下予定の原子爆弾用の部品と核材料をテニアン島へ運んだ後、7月28日単独でグアムを出港し、フィリピンのレイテ島へ向かっていました。
(日本海軍伊号五十八潜水艦)
7月29日23時05分、伊号五十八潜水艦は南太平洋上で浮上し、電探で周囲を警戒していました。
そして航行中のアメリカの巡洋艦インディアナポリスを発見します。
伊号第五十八潜水艦の橋本艦長は潜航し、魚雷戦とともに人間魚雷回天の6番艇・白木一郎一飛曹艇と5番艇・中井昭一飛曹艇の発進準備を行います。
23時26分、伊号第五十八潜水艦は、まず九十五式魚雷を合計6本発射します。そのうち3本がインディアナポリスに命中します。
同艦は大きく火柱を吹き上げ、翌30日00時27分、沈没します。伊号第五十八潜水艦は、人間魚雷回天も搭載していましたが、回天を出撃させるまでもなく、魚雷でアメリカの巡洋艦を沈めました。
この攻撃で、インディアナポリスの乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡します。残り約900名は救命ボートがない状態で海に浮かび続けます。水や食料の欠乏、救助の遅れと体力の消耗が原因で死亡し、最終的に救助された生存者はわずか316名でした。
下の写真は、グアムでのインディアナポリスの生存者の様子です。
(軍法会議にかけられた唯一の艦長は、後に自殺)
同年11月、インディアナポリスの艦長だったマクベイ3世は「魚雷の回避に有効とされるジグザグ航行を怠った罪」と「退艦命令を出す時期を逸した罪」の2つで軍法会議にかけられます。
この軍法会議には、インディアナポリスを撃沈した伊号五十八潜水艦の橋本艦長が、
アメリカまで呼ばれます。橋本艦長は「あの位置関係ならばジグザグ航行をしていても撃沈できた」と予備審問で証言をします。しかし、橋本艦長は軍法会議の審問では、
この証言をさせてもらえないまま、日本に帰国します。
そして軍法会議ではマクベイ3世は、船を危険にさらしたとして有罪とされます。
その後、マクベイ3世は、死亡した元乗組員の遺族たちに責め立てられ、1968年(昭和43年)11月6日、自宅にてピストル自殺しました。
アメリカは第二次世界大戦の戦闘で約700隻の艦艇を失いますが、戦闘で撃沈された艦艇の艦長が軍法会議にかけられたのはマクベイ3世、ただ一人です。
7月30日は、アメリカの巡洋艦インディアナポリスが
撃沈された日であり、
このインディアナポリス撃沈は、
日本海軍の潜水艦としては最後となる
大型戦闘艦の撃沈であり、
同時に第二次世界大戦で敵からの攻撃を受け沈没した
最後のアメリカ海軍水上艦艇です。