【「大正博覧会第二会場」出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」23ページ(昭和11年出版)国立国会図書館ウェブサイトよりhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/23】
1914年(大正3年)3月20日から7月31日にかけて、当時の東京府が大正博覧会を主催しました。
(博覧会会場は上野不忍池一帯)
この大正博覧会は、大正天皇の即位の奉祝と、日本の産業界の新技術を見せる目的で
開催されました。
当時の東京市の上野公園地をおもな会場とし、第一会場は上野竹の台、第二会場は不忍池畔、そして青山練兵場と芝浦が分会場となり、出品総数は33万8068品です。
【出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」23ページ(昭和11年出版)国立国会図書館ウェブサイトより https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/23】
(3月20日開会)
下の写真は3月20日の開会式の様子です。
第一会場の正門前では,最新設備を見ようと、この混雑ぶりでした。
全会場で、初日だけでも1万5千人が来場したそうです。
【出典:上記2つの写真は 「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」 21ページ(昭和11年出版)国立国会図書館ウェブサイトよりhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/2】
(新技術のシンボル:ロープウェイ)
博覧会には当時の最新技術を駆使した物が登場しています。
不忍池に登場したロープウェイ。当時は「ケーブルカー」と称されました。
全長400メートルのロープウェイは新技術のシンボルとして人気を博した。
ロープウェイの写真が小さいので拡大してみます。
【出典:上記の写真は「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」23ページ(昭和11年出版)国立国会図書館ウェブサイトより https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/23】
(戦艦三笠の模型も登場!)
青山には,戦艦三笠の模型も登場しました。
戦艦三笠。。そう日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に対し壊滅的打撃を与えたあの三笠です。
大正博覧会が開かれたのは、日本海海戦から20年足らずで、この三笠も人々の大人気でした。
この三笠の模型の中では、海軍関係の資料が展示されていました。
【出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」23ページ(昭和11年出版)国立国会図書館ウェブサイトより https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/23】
その他、第1会場と第2会場をつなぐ、動く階段=エスカレーターが日本で初めて設けられました。
さらに、日本最初の自動車メーカーとされる東京自動車製作所は 乗合自動車を、宮田製作所は、オートバイ旭号を出品しました。
分会場となる青山には陸軍の飛行機、芝浦には海軍の飛行機がそれぞれ2機づつ展示されました。
今回紹介した大正博覧会の写真は下で見ることができます。クリックして御覧下さい。
「不忍池周辺の第二会場」【出典:「幕末・明治・大正回顧八十年史 第16輯」22ページ(昭和11年出版)国立国会図書館ウェブサイトより
https://dl.ndl.go.jp/pid/8797972/1/22】
・・・ということで7月31日は
大正博覧会が閉会した日です。
4ヶ月以上開催されたこの博覧会の
入場者数はおよそ750万人でした。