1923年(大正12年)9月6日、
関東大震災の5日後となるこの日に、
千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で
香川県から来ていた薬の行商団15人が、
地元の自警団などに襲撃され、縛られたまま川に投げられ子どもを含めた男女9人が殺されるという惨劇が
起きました。福田村事件です。
(大震災の混乱時に発生したデマ)
1923年(大正12年)9月1日11時58分に起きた関東大震災で首都東京が壊滅し、人々が混乱します。
下の写真は震災直後の有楽町の様子です。人々が避難している様子がわかります。
このとき「朝鮮人が井戸に毒薬を投げた」「朝鮮人が武器を持って 襲ってくる」などのデマが広がりました。また、4年前に朝鮮独立を願う三・一万歳独立運動が起きていたことも人々の記憶に残っていました。
関東大震災での混乱で、様々なデマ情報が流れ、ただでさえ焼け出され不安になった人々の不安は募ります。
この事態に警視庁は「デマをばら撒くことは処罰される」というビラを貼り付け、流言飛語の拡散を防ごうとしますが、なかなか勢いがとまりません。
(自警団が関東各地に結成)
震災の翌日となる9月2日、政府と軍部は戒厳令を出し、関東各県に命令して在郷軍人や青年団、消防団などによる自警団を結成しました。その数は4000近くありました。
千葉県には9月4日戒厳令が敷かれ自警団が結成されます。
自警団は、「大震災の混乱に乗じて朝鮮人が襲撃してくる」というデマを信じ込み、
猟銃や日本刀・竹やり等で武装して警戒します。
そして一方的に「怪しい朝鮮人」だとにらんだ人々を次々と尋問し、時には、朝鮮人に暴行を加えます。
ある調査によると6日頃までには横浜・東京・千葉・埼玉・群馬県などで朝鮮人に対する殺害事件が発生しています。
その一方で、横浜の鶴見警察署長のように、暴徒化した民衆から朝鮮人を守った行為も各地で見られました。
また横須賀鎮守府が朝鮮人避難所になるなど、各地で朝鮮人の避難所も作られました。下の写真は、9月13日に撮影された目黒競馬場を利用した警視庁の保護朝鮮人収容所です。
自警団は11月にようやく解散が命じられました。
(香川県からの薬売り一行)
関東大震災で起きた悲劇と、同じような惨劇が千葉県でも起きました。
先述のように9月4日、千葉県に戒厳令が敷か、自警団が結成されます。
9月6日、香川から訪れた薬売りの行商の一行15人が、千葉県東葛飾郡の福田村を訪れました。
薬売り??と聞いて疑問を抱く人がいるかもしれませんが、当時は今のように各地に、薬局がないため、このように薬を売りに来てくれる業者は重宝されました。また、彼らは薬を売ると同時に踊りなどの芸も見せることから、薬売りの来訪を楽しみにしている人もいました。
一行は、薬をいれた車を引きずりながら各地を移動し販売していました。
(三堀香取神社での惨劇)
午前10時すぎ、一行は三堀香取神社の境内で休憩をします。
その彼らの様子を地元の自警団が目撃します。
当時は、「あやしい行商人を見つけたら警察に通報せよ」と書かれた防犯ポスターが、作られるなど、行商人に対する職業差別的偏見もありました。
そこで自警団が、一団を尋問したところ、彼らが喋る言葉が、香川のなまりがあり、
イントネーションも独特でした。
当時は、まだラジオさえ普及してなく、耳で聞く標準語が地方に住む人々に浸透していませんでした。そのため行商人の一団が喋る言葉に、自警団が違和感を感じたのかもしれません。
一団の言葉を聞いたとき、「朝鮮人が攻めてくる」というデマを信じ、過剰な警戒心を抱いていた自警団は、「こいつらは朝鮮人だ!攻めてきたんだ!!」と決めつけます。
そして付近住民に集まるように村の警鐘を叩きます。
やがて、この警鐘を聞いた住民や自警団は、それぞれが武器を手にして神社に集まります。
神社に集まり、薬売りの一行を取り囲んだ住民達は、異常な群衆心理が暴走してブレーキがきかなくなります。
「朝鮮人ではない」と話す一行に対し、自警団を含む100人以上の村人たちが15人を、襲撃します。
そして、9人を荒縄で縛り、そのまま利根川の三ッ堀の渡しに連れていき、しばったままで川に投げ込みます。8名が溺死。他の1人は対岸に行こうと泳いで逃げますが、船で追いかけられ対岸で殺害されます。
こうして薬売りの一行15人のうち子どもや妊婦を含む9人を殺害します。
騒ぎに駆けつけた警察官が、自警団の暴走を必死に制止したため、襲われた一団のうち鳥居のところにいた6人は助かりました。
逮捕されたのは自警団員8人で1924年(大正13年)9月3日に実刑となり収監されます。しかし、1926年(大正15年)12月15日に大正天皇が死去し、翌年の昭和天皇の即位に伴う恩赦で、2年5か月後に全員釈放されました。
(事件の背景にあるデマと報道と2つの差別)
この惨劇の背景には、色々な要因が考えられます。
まず関東大震災という、首都東京が崩壊する大惨事に起きたデマ。最近でも、熊本地震が起きたときに動物園からライオンが逃げたというフェイク画像をネット上で流布する事が起きるなど、混乱期にデマを流す人がいます。悪質です。
さらに、新聞報道。当時はネットもテレビもラジオもない時代。情報を得るには、新聞が大きな役目を果たしていました。
下は9月3日の大阪朝日新聞号外記事です。
「朝鮮人が暴徒となり横浜、神奈川、八王子に向かって盛んに火を放ちつつあるのを、見た」と書いています。被災し家を失い疲れ果てている人がこのような記事を目にしたわけです。
そして、当時は植民地だった朝鮮半島出身者に対する差別意識と、「あやしい行商人を見つけたら警察に通報せよ」と書かれた防犯ポスターが作られるなど、職業差別を助長する雰囲気もありました。
「震災という未曾有の大混乱時」「新聞報道」「朝鮮人差別」「行商人に対する職業差別」という。。これらの要素が福田村事件に大きく関与したと考えられます。
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この「福田村事件」以外にも、同様に震災後の流言飛語が原因で命を奪われる事件が、各地で複数発生しています。
差別と偏見が生んだ惨劇・福田村事件は、
関東大震災後の5日後の9月6日に発生しています。