終戦直前の1945年(昭和20年)8月13日、
満州国吉林省にある
小山克(しょうさんこく)と言う場所で
日本人難民が、武装した中国人に襲われ、
虐殺・強姦され、集団自決をするという
忌まわしい事件が起きます。
小山克事件です。
(小山克事件とは)
1945年(昭和20年)8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連は、日本に宣戦を布告し、満洲国、朝鮮半島、樺太などに突如として侵攻します。
満州国にいた日本人は、ソ連から戦争を仕掛けられ当然ながら大混乱に陥ります。
その混乱した状況を、中国人暴徒が襲撃したのです。
(日ソ開戦前)
1941年(昭和16年)4月13日、松岡洋右外相はモスクワに飛びソ連と日ソ中立条約を締結します。この国際条約は期限が5年間で、1946年(昭和21年)4月25日までは有効でした。
(国際条約を破りソ連参戦)
1945年(昭和20年)8月9日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破り、日本に参戦しました。当時、満州国の防衛を担っていた関東軍は、満州国の北方の守りに関しては日ソ中立条約があるので安心し、米英との戦争に兵力を傾けていました。
突然のソ連参戦を知った関東軍は、総司令部を満州国の首都・新京から、南満州にある通化に移し、ソ連の侵攻を食い止めようと考えていました。
関東軍は、8月10日に避難民の移送を決定し、連絡がつきやすい軍人の家族を避難の第一陣避難隊としました。そして8月11日の昼までに軍・官関係者の家族を中心とした約38,000人が合計18本の避難列車で移送されました。
(8月13日の2番列車)
8月13日午前1時50分、満州国皇帝溥儀以下皇室一行490名を載せた特別列車が
新京を出発しました。
この特別列車の次に2番列車が、8月13日14時10分に新京駅を出発します。
この2番列車が、忌まわしい事件に巻き込まれました。
(事件詳細)
8月13日14時10分、新京を出発した2番列車が九台駅に到着したときです。
駅には、鎌などで武装した中国人暴徒たちが待ち構え、到着した客車に乱入して避難民から金品を奪っていきます。
その後、九台駅を出発した列車が当日夕刻に、吉林盆地に抜ける小山克トンネルに差し掛かろうとしたときです。
小銃で武装した中国人暴徒たちが線路を焼き払い待ち構えていました。
それを見て列車が停止すると、中国人暴徒たちは客車になだれ込みます。
彼らは、鉄道公安官の拳銃を奪い取ると縛り上げます。
そして、日本女性たちを見つけると、車外に連れ出して次々と各地で性的暴力を繰り広げます。
当然、抵抗する者がいますが、中国人暴徒たちは、それを射殺します。
また、女性が抱いている赤ん坊たちは窓から放り投げて殺します。
このとき100人以上の女性たちが、この事態に耐えられず崖から谷底に飛び降りて自決したと言われています。
この大惨事・蛮行に対し日本人避難民たちは、事件を知らせようと次々と使者を送りだしますが、中国人暴徒に次々と射殺されます。
谷底に転落した13歳の少女が、負傷しつつも5キロ先にある駅にたどり着き、この惨事を知らせます。
知らせを受けた関東軍第一方面所属の吉林駐屯中の松下部隊から池内少佐が率いる一個大隊600名が列車で派遣され、8月14日午前五時半ごろに現地に到着します。
現場にいた中国人暴徒は、早朝と言う事もあり、日本女性を抱きながら眠ていたそうです。
彼らは日本軍の到着を知ると一部は逃げ出し、また一部は卑怯にも日本人女性たちを
弾除け状態の楯にして立てこもります。
この中国人暴徒は日本軍によって射殺され、あるいは、つかまり、ようやくこの忌まわしい事件は沈静化します。
日本軍は、直ちに線路を復旧し、避難が再開され列車は通化に到着しました。
そして、到着した通化では、あの通化事件に巻き込まれます・・。
遠い異国で犠牲になった同胞の御冥福をお祈りします。
(戦前に起きた邦人の惨劇・・忘れてはいけません)
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8月13日は、
終戦直後に避難をしていた日本人が
暴徒化した中国人に襲撃され
略奪や強姦を受けた小山克事件が起きた日です!!
この惨事を忘れてはいけません!!