日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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八幡製鉄所120回目の起業祭:戸畑の熱延工場見学(2023年・令和5年11月4日)

1901年(明治34年)に誕生し、
日本の近代化をけん引してきた官営八幡製鐵所
その作業開始式は、起業祭として今も受け継がれています。
120
回目の開催となった2023年(令和5年)11月4日(土)の
起業祭に行き、年に1回、しかも数時間だけ公開される
熱延工場を見学してきました。

(消えた「八幡製鉄所」の名称)
2020年(令和2年)4月に八幡製鉄所を運営する日本製鉄が、全国に16ある製鉄所や製造所の組織の再編を行いました。その結果、明治時代の官営製鉄所時代から長年使われてきた「八幡製鉄所」の呼び名が消え「九州製鉄所 八幡地区」となりました。
しかし、地元では昔と変わらず愛着と親しみを込めて「八幡製鉄所」と呼んでいる方が多いようです。
官営八幡製鉄所の流れをくむ、九州製鉄所八幡地区は、小倉・八幡・戸畑の3か所で
2022年(令和4年)のデータでは、日本製鉄の粗鋼生産量3426万トンのうち九州製鉄所八幡地区では361万トンを生産しています(10パーセント以上)。


(戸畑の熱延工場見学)
起業祭=「地域のお祭り」ということで、製鉄所周辺では各地でイベントがありましたが、数あるイベントの中で、おっさんが1番の注目は普段見ることができない、戸畑の熱延工場見学でした。1年に1回、しかも数時間だけの一般人向け工場見学です。
最初に製鉄所ができたのは八幡でしたが、八幡は港が小さいため、隣の戸畑の海岸部を埋め立てそこに工場を作りました。

ここでは、長方形の真っ赤な板を薄い板に延ばす作業過程を見学することができます。

ただし、工場内は撮影禁止なので写真はありません。
この熱延工場は、1982年(昭和57年)に操業開始。従業員は12人で3交代制。
24時間フル稼働で、1200度で加熱したスラブという鉄の板を、だんだん薄く延ばしていき、運搬しやすいように厚さ1.2ミリから2,5ミリの薄いコイル状に巻き取った・熱延コイルにするまでの一連の作業を見学しました。この一連の作業は早くて2分、長くても5分以内で完了するそうです。
工場の上から作業を見学しましたが、1200度になった鉄の板があるため、蒸し暑く、また鉄の独特のにおいがしました。

(写真の出典:企業祭2023年 配布パンフレット)

どうも説明が難しいので、下の日本製鉄のHPを参照してください👇
このHP内には映像もあるので、それを見れば理解が深まると思います。

係の方に話を聞いたところ、ここでは、従業員は12人で、加熱炉に入れる作業から巻き取りを完了するまでの全ラインがコンピュータにより制御制され、安全かつスピーディーに行っています。

ここでは、車のボディーやブリキの缶。精密機械の部品のもとを作っているそうです。1分間に500トンの生産能力があり、車だとおよそ500台分だそうです。

工場の外には、コイル状に巻き取った・熱延コイルの見本がありました。

こうして、薄い形になり、車やブリキ缶に加工されます。

(おみやげ)
工場見学のおみやげに、このようなものを頂きました。2023年(令和5年)はブリキ生産100周年だそうです。

(八幡が選ばれた理由)

八幡は江戸時代は九州の小さな漁村の八幡村でした。
日本の命運をかけた当時の最先端の工場が、なぜ九州の八幡の地に出来たのでしょうか?
それは八幡の地の利が関係しています。まず、海に近いので、港からの出し入れが便利です。
さらに近くには日本有数の筑豊炭田(石炭は製鉄の原料です)があり、また鹿児島本線もあるために、鉄道や水運で大量の石炭の輸送が可能でした。

また当時の八幡村の芳賀種義村長が、積み出し港となる若松築港会社社長・安川敬一郎、九州発祥の政治結社玄洋社初代社長・平岡浩太郎、などと協力して地元への誘致活動を行い、住民を説得し用地買収を行い、政治的に働きかけるなどをした結果、
誘致に成功しました。
その後、八幡は成長、発展を遂げます。

(B29の攻撃目標に)
太平洋戦争中には、八幡製鉄所は、日本の重工業の中心地ということでB29による
日本初空襲の時の攻撃目標になりました。下は、八幡空襲を報じた当時の米国の新聞です。八幡製鉄所を日本のピッツバーグと称しています。

B29日本本土初空襲の記事は下をクリックして御覧下さい👇

また、次の八幡空襲の時には襲来したB29に対し体当たりで撃墜しています👇

終戦の1週間前には八幡大空襲があり、壊滅的打撃を受けます。

(近代化遺産に)
戦後も八幡製鉄所四大工業地帯の一角として日本の高度成長を牽引してきました。
そして2015年(平成27年)には、日本の産業の近代化に大きく貢献したということで、近代化遺産に選ばれました。今も八幡に残る、創業当時の建物・東田第一高炉の上には、操業開始時の1901年にちなんで、「1901」の看板がかけられています。

 工場見学は大人の社会科見学です。
非常に貴重な体験ができました。
なお、企業祭では2日間で50万人以上が参加しています。