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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 41話「逆襲の三成」

「どうする家康」の第41話「逆襲の三成」の
平均視聴率は10・1%でした。
ではストーリーを見て行きます。

(天下人家康)
秀吉の遺言のもと、五大老五奉行による政を進めていた石田三成が失脚し下野します。大阪城本丸には秀頼と茶々が、西の丸では家康が寧々の代わりに入り政務を行っていました。そのため世間では家康が天下人といわれるようになっていきます。

その家康を暗殺しようと、浅野長政、土方雄久、大野治長が企てますが失敗し、浅野は蟄居、土方と大野は流罪になります。

その首謀者は前田利家の後を継いだ前田利長でした。家康をよく思っていない連中が他にもいるようで油断なりません。

(隠居の三成)

隠居している石田三成のもとを大谷吉継が訪れ、家康が豊臣家中を掌握して人々の心を掴んでいると報告します。三成は、家康の力で天下が安定するならそれが1番であり三成自身はカムバックする気がなく今の生活が気に入っていると言います。その姿を見た吉継は、家康にもその様子を伝えます。

(上杉の動き)
1600年の春。
五大老の一人、上杉景勝に不穏な動きありとの知らせが届きました。上杉は、秀吉に降伏したあと、越後から会津に国替えとなりました。しかし、国作りに専念したいということで帰国を許され、そこで橋や道、河川を整え、新たな城を築き、また牢人や武具を集めているという噂が入っていました。
上杉には、再三にわたって上洛のするように命じますが、応じません。

 (ウイリアムアダムス)
この頃、一人の大きな外国人が大坂城で家康と対面します。
イギリス人のウイリアムアダムスです。2年前オランダを出発したリーフデ号が大分の海に漂着します。日本在住のイエズス会ポルトガル人宣教師たちは、「リーフデ号は海賊船である。乗組員を処刑すべきである」と訴えています。
しかし、話を聞くとリーフデ号は東洋との交易が目的であり海賊ではないこと。ポルトガル人の宣教師が処刑を要求するのは、カトリックプロテスタントというキリスト教の宗派の対立が原因であることが判明しました。
そうした事情を理解した家康は、アダムスに海外の情勢についての色々と聞きます。

 (徳川一の忠臣・鳥居元忠
依然、上杉は再三に渡る上洛の要求を無視します。大坂城本丸に住む茶々は、家康に太閤殿下が武力で天下統一したように、家康殿も武力でまとるように勧めます。
家康は戦を避けようと奔走しますが交渉が成立せず、「大軍勢で取り囲み、降伏させる。戦を防ぐには、そうするほかない。」といって兵をあげることを決めます。
上杉に対し大軍勢を動かすということは家康自も出陣となります。
そこで家康は鳥居元忠を呼び、自分が留守中に兵をあげるものがいるかもしれないので、留守番役を託します。
鳥居元忠は、「殿のお留守、謹んでお預かりいたします。殿、わしは挙兵したい奴はすればいいと思っております。このわしが、みんなねじ伏せてやります。徳川一の忠臣この鳥居元忠が命に代えても守って見せます。殿、宿願を果たすときですぞ。戦なき世を成し遂げてくださいませ」と頼もしく言います。さらに元忠は「兵は3000もいれば十分。1人でも多く家康が連れて行ってほしいと言う。自分には平八郎や直政のように武力もない、小平太や正信のような知力もないが、忠義心だけはある。必ず守る」と力強く言います。

会津へ)
そして、家康は茶々に「秀頼の世を安寧にするために戦をする」と報告し、秀頼からは「会津上杉の成敗を認める。励むがよい。」と戦の許可をもらいます。
戦の準備が進み、伏見城会津への遠征軍が集結し、家康の次男・結城秀康が家康を向かえます。
その中には病をわずらい頭巾をかぶった大谷吉継の姿もありました。吉継は、家康に「石田三成の三男を陣に加える許しを請います。それを了承した家康は、この戦が終わったら、三成に政務に戻って欲しいと思っている事を告げます。
家康のもとに、本多忠勝榊原康政井伊直政鳥居元忠渡辺守綱らが続々と集結します。
翌日、伏見城を出発した遠征軍は、約2週間後に江戸城に到着しました。
ここで徳川秀忠平岩親吉らが加わり、会津へ向けて進軍を開始しました。

 (三成、挙兵す)

その数日後、石田三成が動きます。
三成は「家康は、殿下のお決めを次々とやぶり、政を思いのままにしておる。野放しにしておけば、いずれ豊臣家は滅ばされるに違いない。家康をとりのぞけば、殿下の思い通りの政ができる。今度こそ、殿下の思い通りにできる。刑部、正しき道に戻ろう。奉行衆と大老を味方につければ、勝てる。」と言います。
我らの手勢では敵わない」という吉継に、大坂の茶々から得た大量の金貨を見せます。

こうして三成は挙兵します。それに毛利・宇喜多ら五大老を始めとする多くの大名が呼応し、続々と大阪へ兵が集まっていました。その中には、伏見城で家康と会った大谷吉継の姿もありました。大阪の状況を知った家康は、「わしは逆臣に仕立て上げられたか」とつぶやきました。
その家康のもとに、大坂城の茶々から「治部が勝手なことをして怖くてたまらないから、なんとかしてほしい。」との書状が届きます。

大きな戦が始まろうとしています。