日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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初の総理大臣となった伊藤博文旧宅(山口県萩市)

松下村塾のすぐ近くに
日本最初の総理大臣となった伊藤博文の旧宅が
ありました。
木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さく質素な家です。

 (幕末の激動期を過ごした家)

伊藤博文は幕末の1841年に熊毛郡束荷村(現在の山口県光市)の農家に生まれましたが、父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、1868年(明治元年)に28才で兵庫県知事に赴任するまでのこの家が生活の拠点となっていました。

この旧宅は木造萱葺き平屋建ての簡素なものですが、7部屋あります。

 

旧宅横には萩焼でつくられた伊藤博文の等身大の陶像が立っています。


伊藤博文簡単ストーリー)
伊藤博文は、1857年に松下村塾に入ります。吉田松陰は博文を「なかなか周旋家になりそうな」との評価しています。
そして1863年5月には、長州ファイブの一人として井上聞多(=井上馨)らと英国に密航
留学しました。密航留学に選ばれるとは凄く期待されていたことがわかります。

伊藤博文江戸幕府が滅び明治新政府が誕生すると参与、兵庫県令などを歴任します。1871年明治4年)には条約改正のため、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪し、帰朝後は、参議、工部卿などの要職をつとめます。
1885年(明治18年)には初代内閣総理大臣となり、結局計4回、組閣します。
日露戦争後、初代韓国総監となり、1909年(明治42年)枢密院議長として満州を訪問したとき、ハルビン駅頭で韓国の独立運動家の安重根により暗殺され69歳でこの世を去りました。

【出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/12/)】

(隣には豪邸の1部が)

伊藤博文が若いときに過ごした質素な旧宅・・・

その隣には、伊藤博文が1907年(明治40年)に東京府荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てた別邸の一部が移築されています。

この別邸は、車寄せを持つ玄関の奥に、中庭をはさんで向って右に西洋館、左に書院があり、そのほか離れ座敷、台所、風呂及び蔵を備えた広大な大邸宅でした。
現在、萩市には、その一部である玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しています。

 

貧しい農家のせがれが藁葺き屋根の小さな質素な家を出て、40年後には、この大邸宅を作りました。

萩市観光協会HP 伊藤博文旧宅】

<<伊藤博文旧宅への行き方>>

JR山陰本線東萩駅から徒歩15分

住所山口県萩市椿東

萩城下の武家屋敷を見たあとに、ここを訪れると、
貧しい暮らしから天下人に上り詰めた
伊藤博文の根性・パワーがわかるような気がします。