山口県萩市にある松下村塾。
倒幕の原動力となり、また明治日本を作り上げた
人物達を輩出した長州藩の私塾です。
(萩の松陰神社の中にある松下村塾)
山口県萩市にある松下村塾は幕末に、長州藩の藩校「明倫館」の師範を務めた吉田松陰が主宰した私塾で長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)にありました。
松下村塾は、木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、8畳の一室と4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分の小さな小屋です。幕末当時の塾舎です。
御覧のように小さな小屋ですが、ここで、のちに偉人となるおよそ80人が学び、そして巣立ちました。
講義室として使用されていた8畳の部屋には松陰の肖像画の掛け軸と石膏像、そして
講義で使用していたと思われる机が置いてあります。
(志有れば身分は問わず)
吉田松陰は長州藩の藩校・明倫館を経て諸国を遊学します。
【出典:国立国会図書館ウェブサイト(https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/217/)】
吉田松陰は、1854年に海外密航を企てて下田港にいたアメリカ軍艦ポーハタン号に
乗り込もうとしますが拒絶され投獄され、その後、萩の野山獄に移されます。
1855年12月には、野山獄を出て杉家宅で幽閉されます。
そして1856年、松陰は謹慎中ながら杉家で、家族などを相手に「孟子」を講義します。
やがて近所の子弟もこの講義に参加するようになります。
1857年11月、松蔭は叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地にあった小屋を改装し8畳1間の塾舎としました。
同時期に、長州藩には藩校の明倫館がありました。しかし、そこで学ぶには厳しい身分制度があり、地位によって学ぶ事が許されない人もいました。
明倫館に関しては下をクリックして御覧下さい
一方、吉田松陰が教えていた松下村塾では、身分や階級にとらわれず、誰でも学ぶことができました。
また、時間割もない自由な雰囲気で、塾生が来れば昼夜を問わず授業が始まりました。
松陰は塾生一人一人の個性を尊重し、その能力を伸ばすよう指導しました。そこでは
書物の解釈にとどまらず、時事問題を題材にし、松陰が弟子と一緒に意見を交わすなど活発な議論も繰り広げられました。
松下村塾では、吉田松陰の指導の下、尊皇攘夷をかかげ、儒学、兵学、史学などを幅広い学問が教えられました。
幕末維新の志士を輩出した事で有名な松下村塾ですが、運営していたのは、わずか1年余りの間でした。
しかしこの塾から、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山田顕義、品川弥二郎など多くの逸材が育ちました。
<<松下村塾への行き方>>
JR東萩駅から徒歩15分
萩循環まぁーるバス(東回り)「松陰神社前」バス停より徒歩1分
明治維新の原動力となり、
維新後は明治日本を築き上げた数々の人物を輩出した
松下村塾は、2015年(平成27年)には
世界遺産になりました。