初代総理大臣の伊藤博文の国葬の写真(1909年:明治42年)
【国立国会図書館ウェブサイトから転載
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781033】
2022年(令和4年)7月
参議院の選挙応援演説だった安倍晋三元総理が
狙撃され死亡しました。
その安倍元総理の国葬が
9月27日に日本武道館で開催されます。
その国葬に関してですが
日本最初の国葬は
1883年(明治16年)7月25日行われました。
(国葬の条件)
国葬とは、国に功労のあった人の葬式を、国家の儀式として、国費で行うことです。国家に功績ある臣下が死去した場合には天皇により国葬が行われますが、そのほか、
皇族の場合でも特別に国家に功労があった方に対しては、通常の皇族の葬儀ではなく
国葬が行われました。
皇族・王公族以外での国葬をされる者は、「旧・薩長藩主」「太政官制における大臣経験者」「首相経験者」「元帥」のいずれかに該当していなければいけません。
元帥では、東郷平八郎と山本五十六の国葬が6月5日に行われています。
その様子は下をクリック!
(初めての国葬は岩倉具視)
1878年(明治11年)5月17日に大久保利通の葬儀が行われましたが、これは準国葬です。
日本最初の国葬は1883年(明治16年)7月25日、前右大臣の岩倉具視の葬儀でした。
岩倉具視 【国立国会図書館ウェブサイトから転載 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/23/】
岩倉は、孝明天皇の妹・和宮と徳川第14代将軍の徳川家茂との婚姻=公武合体をすすめ、朝廷と徳川幕府との融和に尽力しました。やがて岩倉は公武合体派から倒幕派へと変更し、王政復古を成し遂げます。
維新後、岩倉は明治政府の首脳部の一人として活躍し、版籍奉還や廃藩置県などの重要法案の立案に携わります。
岩倉具視 【国立国会図書館ウェブサイトから転載 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/23/】
岩倉は、1883年(明治16年)初め頃から咽頭ガンの症状がはっきりと出始め、次第に
体調が悪化していきます。明治天皇が療養先の京都に医者を派遣し、岩倉はここで医師からガンの告知を受けます。これが記録に残る日本初のガン告知です。
その後、岩倉は船で東京へ戻され、明治天皇から数度の見舞いを受けますが、7月20日59才で死去します。そして7月25日に日本初の国葬が行われました。
初代総理大臣の伊藤博文の国葬の写真(1909年:明治42年)
【国立国会図書館ウェブサイトから転載
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781033】
(安倍晋三元首相 凶弾に倒れる!)
さて、時代は変わって2022年(令和4年)7月8日(金)、史上最長の政権を築いた安倍晋三元首相が、奈良で参議院選挙の応援演説の最中に、背後から銃で撃たれ、病院に運ばれましたが亡くなりました。おっさんは安倍晋三元総理の地元・山口県下関市の安倍事務所に行き献花してきました。
安倍元首相の国葬は2022年(令和4年)9月27日(火)に日本武道館で実施されます。
戦後、総理大臣経験者の国葬は1967年(昭和42年)に亡くなった吉田茂元総理大臣以来2人目となります。
・・・ということで7月25日は
日本で初めての国葬がおこなわれた日です。
初代総理大臣の伊藤博文の国葬の写真(1909年:明治42年)
【国立国会図書館ウェブサイトから転載
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781033】