日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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萩市の中央公園にある山県有朋騎馬像

山口県萩に
元帥・山県有朋の騎馬像がありました。

(山県有朋騎馬像)
萩市の城下町に近い中央公園に建つ、山県有朋の騎馬像。高さ約4メートルの立派な像です。この像は、長崎市平和公園にある「長崎平和祈念像」を作った彫刻家の北村西望が1929年(昭和4年)に制作しました。

山県有朋とは。。)
山県有朋は、萩の下級武士の家に生まれました。松下村塾に入門し、高杉晋作率いる奇兵隊の軍監(副将)として活躍し戊辰戦争に従軍しました。明治維新後は、徴兵令、
そして廃刀令を出しました。

1889年(明治22年)と1898年(明治31年)の2回内閣を組閣した第3代、第9代内閣総理大臣です。そのほか、内務卿、内務大臣、司法大臣、枢密院議長、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長を歴任しています。
また日清戦争時には第1軍司令官、日露戦争時には参謀総長として作戦指揮にあたっています。

【出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)】

山県有朋は、その後も政界での影響力を持ち続け、大正期には元老として「山県閥」と呼ばれる官僚、軍人の一大勢力を形成しました。そして1922年(大正11年)に死去しました。
最終階級・称号は元帥陸軍大将です。

(2度の消滅の危機を乗り越えた像)

この像は、1927年(昭和2年)に陸軍省の依頼を受けて2年後の1929年(昭和4年)に
完成し当初は東京・霞ヶ関陸軍大臣官邸に置かれていました。
そして戦時中には金属供出の対象となりました。
また戦後のGHQ占領下には軍国主義の象徴なので、つぶそうという話も持ち上がりました。
しかし、いずれも危機を乗り越え、上野公園、井の頭公園に置かれたあと1992年(平成4年)に現在に移りました。
北村西望作が作った大きな騎馬像は、この山県有朋騎馬像の他には、寺内正毅騎馬像と児玉源太郎騎馬像がありましたが、今も残っているのは、この山県有朋の騎馬像だけです。

 【萩市観光協会HP 山県有朋像】

<<山県有朋騎馬像への行き方>>

東萩駅出口から徒歩25分程度

玉江駅出口から徒歩25分程度

住所:萩市江向552番地2(萩市中央公園内)

力強い立派な騎馬像でした。