沖縄本島南部の糸満市米須にある
戦没者の慰霊塔・魂魄の塔(こんぱくのとう)。
終戦の翌年、住民が遺骨を拾い集め作った
かつて県内最大の納骨所・慰霊塔でした。
(魂魄の塔がある場所)
地元在住の方にガイドをお願いし、沖縄戦跡巡りをしていた時、魂魄の塔(こんぱくのとう)に、是非行くように勧められました。
魂魄の塔(こんぱくのとう)は、沖縄本島南部の糸満市米須にある戦没者の慰霊塔です。形は円形、側面には石がはめられ、その上には「魂魄」と書かれた石碑が置かれます。
この塔がある糸満市米須周辺は、沖縄戦で米軍に追い詰められた日本軍や住民が、逃げ場を失い、陸海空からの激しい攻撃を受け多数の人命が失われました。
敗戦直後、住民が道路や畑、丘、森に散らばって放置されたままであった、無数の遺体、ミイラ化した状態の遺体、折り重なるように見つかった遺体、遺骨や遺骨を収集し、自然洞窟のなかに収め、その入口に石碑を建てました。そのため魂魄の塔が自然洞窟を利用した納骨所と言われます。
最終的には、遺骨が、予想以上に遺骨が集まったため、周囲を石で囲んで、まんじゅうの形のような納骨所になりました。
ここは沖縄戦で戦死した日本兵や住民などの約3万5千柱の遺骨が合祀された県内最大の納骨所・慰霊塔でした。その後、多くの遺骨は糸満市南東部の摩文仁(まぶに)の丘に作られた国立沖縄戦没者墓苑に移されました。
(歌碑)
魂魄の碑の隣には歌碑がありました。
「和魂と なりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風
翁長助静 詠 潭洞書」と刻まれています。
この歌の意味は、和魂(にぎたま)「平和でもの柔らかい徳を備えた霊魂」となって
ねむるおくつき(奥津城=墓)のみ床の上を潮風が吹きわたっている・・ということです。
この魂魄の碑には、平和学習などでの見学があるほかに、毎年6月23日の沖縄慰霊の日には県内外から多くの参拝者が訪れています。
<<魂魄の塔への行き方>>
ここは車で行きましょう
住所:糸満市米須嵩下1441-3
沖縄の住民が1つ1つ遺骨や遺体を拾い上げて作った
魂魄の塔。
沖縄戦を調べるうえでは、是非、訪れて欲しい場所です。