1913年(大正2年)3月28日、
我が国で初めての航空機による墜落死亡事故が
発生しました。
(青山練兵場から所沢に向かう)
1913年(大正2年)3月28日、東京の青山練兵場で、貴族院、衆議院を対象にした飛行展覧会が開催されました。
この展覧会では、木村鈴四郎陸軍砲兵中尉が操縦し、徳田金一陸軍歩兵中尉が同乗するブレリオ式飛行機が見事な飛行を見せ、見物客をうならせます。
写真左が木村鈴四郎陸軍砲兵中尉で、右が徳田金一陸軍歩兵中尉です。
そして展覧会を終え、11時36分に両中尉は青山練兵場を出発し、陸軍所沢飛行場に向かいます。
下の写真は、陸軍所沢飛行場に向かうプレリオ式飛行機を見送る様子です。
(11時59分墜落)
しかし、11時59分、両中尉が乗った飛行機は、上空300メートル付近で突風を受け、
左翼が折れ墜落。両中尉は死亡します。
これが、我が国初の飛行機死亡事故です。
事故現場は、旧松井村下新井柿木台(現在の所沢市下新井)にあたります。下の写真は墜落した当日に回収された両中尉の遺品です。
両中尉の墜落事故に関し「君死にたまふことなかれ」の歌詞で知られる歌人・与謝野晶子は、両中尉の殉死を悼み、短歌15首を寄せています。
(青山で葬儀)
4月4日には青山斎場で葬儀が行われました。下の写真は赤坂見附付近を通過する両中尉の霊です。
(基金により事故1周年に記念碑)
事故後、両中尉の記念塔を建てようとする運動がおこります。
そして、やまと新聞社が中心となって基金を募集し墜落現場の土地を購入し、その地に記念塔が建設されました。
記念塔の正面には、木村鈴四郎陸軍砲兵中尉と徳田金一陸軍歩兵中尉の像が掲げられています。
除幕式は一周忌にあたる、大正3年(1914年)3月28日に挙行されました。
下の写真は記念塔除幕式当日の、遺族が参加した記念撮影です。
・・・ということで
3月28日は日本初の飛行機墜落死亡事故が起きた日です。
※今回のブログに掲載した写真の出典は、国立国会図書館のデジタルアーカイブス「幕末・明治・大正回顧八十年史」です。下をクリックすると無料で見ることができます。