太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月21日(木)、
雨の明治神宮外苑競技場にて
「出陣学徒壮行会」が行われました。
(時代背景)
1941年(昭和16年)に始まった太平洋戦争は、戦線が長引き、戦場が拡大し、また各地で激戦が続いたために、兵隊さんの数が不足します。
そこで1943年(昭和18年)に、これまで兵役を免除していた高等教育機関に在籍する
20歳以上の文科系の男子を中心に徴兵し出征させることにします。
これは日本国内の学生だけでなく、当時日本の植民地下で日本国籍であった台湾や
朝鮮半島の学生も対象となりました。
(雨の神宮)
東京の明治神宮で出陣学徒壮行会が開かれた日は、10月21日の木曜日。
この日は雨で、帝国大学、早稲田大学、明治大学、慶應義塾大学などの関東の学生で兵役に就く、いわゆる「出陣学徒」が、雨が降る中で競技場内を行進しました。
この式には、当時の首相の東条英機も出席しています。
また客席には行進した大学の在校生に加え首都圏の女子大生も姿を見せていました。
(ラジオで生中継)
この神宮外苑競技場での「出陣学徒壮行会」の様子はラジオで2時間半にわたり
実況中継されています。
おっさんの母親(昭和4年生まれ)はこれを実際に聞いたそうですが、当時のラジオの性能からか、よく聞こえなかったそうで、翌日の新聞記事で詳細を知ったそうです。
その模様は、後日日本ニュースで国民に紹介されました。
【日本ニュースの映像】
(学徒出陣された方々への聞き取り)
おっさんは、学徒出陣された方々へ話を聞いたことがあります。
「戦場に行き米英を倒す!」という意気込みを持った人が多く、不思議と「戦場に行くのは嫌だ」と感じた人はいませんでした。
ただ、「出陣学徒壮行会の日が、秋晴れの快晴なら、よかったのに、雨が凄くひどかったので、なんだか前途を現しているのかと不安を抱えた」という方もいました。
おっさんの母親(昭和4年生まれ)の従弟は当時、東京帝国大学の学生でしたが理系だったので学徒出陣していません。また、母の兄は、現在の鹿児島大学の医学部の学生でしたが、この方も学徒出陣していません。
(明治神宮外苑競技場)
会場となった明治神宮外苑競技場は、当時日本初の大規模競技場で、もともとは1940年(昭和15年)紀元2600年の年に開催されるはずだった東京五輪の会場になる予定でした。
明治神宮外苑競技場は、1957年(昭和32年)に解体され、アジア大会を2か月後に控えた1958年(昭和33年)3月に国立競技場として建てられます。
ここでアジア大会や東京五輪が行われました。国立競技場は、1958年(昭和33年)の建設から半世紀が経過した、2014年(平成26年)5月31日に56年の歴史に幕を閉じました。
そして、2019年(令和元年)11月30日には新国立競技場が完成し2021東京五輪の
会場として使われました。
学徒出陣の翌年1944年(昭和19年)10月にはさらに兵力不足を補うために徴兵適齢が20歳から19歳に引き下げられます。
・・ということで10月21日は、
出陣学徒壮行会が開かれた日です。
学業なかばで亡くなられた先輩たちに合掌・・