日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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震災から復興途上の熊本城

   熊本のシンボル「熊本城」

              ただいま(2019年5月)復興の途中。

 2016年(平成28年)に起きた最大震度7地震では石垣や天守閣などが壊れ、その傷跡は3年たった今も残っています。特に壊れた石垣が目立ちます・・。

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せっかくの名城なのに石垣が崩れ・・。

 

(見学する前に)

 復興状況やイベントなど熊本城の最新情報は、公式サイトから確認できます。

情報は随時変わりますので訪問される前には必ず確認してください。

 

熊本城公式HP↓

 

 

 

 

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(銀杏城)

 熊本城は加藤清正が有名で城内は彼が植えたという銀杏の木が多いので別名「銀杏城」です。

 なぜ銀杏かと言うと・・・日本にある城の多くは、城内に松の木や銀杏の木を植えています。これは、籠城戦になったときの食料用です。しかし、よく調べたら熊本城の銀杏は実がならない雄木ということ。ありゃりゃ、こりゃまたなんと・・・。

 

 なお、清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時に、この城で戦が起こるだろう。」と予言したそうです。そして250年ほど経過した明治時代、清正が植えた銀杏の木が天守と同じ高さになった1877年(明治10年)に、西南戦争が起こり、清正の予言通り熊本城が戦場となりました。

 西南戦争では、政府軍が熊本城に立てこもり西郷軍の総攻撃を防ぎ、城を死守しました。

 この西南戦争で熊本城がその威力を発揮したのが石垣の「武者返し」です。

一見すると熊本城の石垣は簡単に登れるように思えますが「武者返し」は、始めは緩やかな勾配ですが、上に登って行くに従って垂直近くになる石垣の組み方です。西南戦争で熊本城を落とせなかった、西郷隆盛は「わしは官軍に負けたのではなく、清正公に負けたのだ」と語ったそうです。

 

(2019年5月の状況)

  現在(2019年5月)は、復興工事で熊本城の全部が見れるわけではありません。二の丸広場から加藤清正を祀る加藤神社を結ぶコースには、無料のガイドさんがいて案内してくれます。熊本市長は2016年7月に天守閣の修復を3年で、また全体の修復を20年で終える目標を掲げています。

 

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おっさんは、また熊本城に行き、復興の進み具合を報告しますね。

がんばれ熊本!!

 

 

行き方

JR熊本駅、1つ手前のJR上熊本駅から 

熊本市電を利用した場合、熊本城・市役所前電停下車 徒歩10分

・バスを利用した場合、熊本交通センター下車 徒歩10分

 

住所:熊本市中央区本丸1-7