「軍艦防波堤」・・軍艦が防波堤??いったい何??
・・ということで、おっさんは現場に行きました。
おっさんの後ろにあるのが軍艦防波堤。船の形をしているのがなんとなくわかりますよね。
釣り人がちらほらいる福岡県北九州市若松区の響灘にひっそりとあります。
さりげなく海沿いにたたずむ「軍艦防波堤」ですが、調べてみると、これはかなり
歴史的に貴重なものでした。非常にレアものですよ!!
(軍艦防波堤とは)
軍艦防波堤は、太平洋戦争終了後、日本海軍の軍艦が防波堤に利用されたものです。
「戦争がなくなって用がなくなった軍艦を防波堤にする!!」・・・非常に突拍子もない考えに思えますが、福岡以外にも青森などで「軍艦防波堤」が作られています。
(九州の福岡県北九州市にある軍艦防波堤)
九州、福岡県北九州市若松区の響灘に面した海岸にある「軍艦防波堤」は、帝国海軍の駆逐艦の「涼月」「冬月」「柳」の3隻を防波堤に利用したものです。
「涼月」と「冬月」は第二次大戦末期に、戦艦大和の沖縄水上特攻で護衛した駆逐艦で特に「冬月」は敵の攻撃を受け沈んでいく大和の最後を看取った艦としてマニアに知られています。
軍艦防波堤になった3隻の駆逐艦の「涼月」と「冬月」は埋まったり朽ちたりしたため完全に姿を消してしまいましたが、「柳」だけは100年たった今でもその形をとどめています。
柳の艦首部分には、主砲の12センチ砲の跡が残っていました。
また、側面には骨組みが確認されました。
「柳」は1917年(大正6年)に竣工され、第一次大戦末期の1918年(大正7年)に地中海でドイツ軍の潜水艦Uボートと戦った、歴史ある駆逐艦です。
こちらは、柳が地中海に行った時の記念撮影です。
駆逐艦 柳 乗組員一同 地中海遠征記念写真【1919年(大正8年)12月4日撮影】
建造から100年以上経っています。帝国海軍の第1次大戦で活躍した駆逐艦が、現存しているのは、非常に珍しいとのことです。しかも自由に触ることもできます。おっさんは、この「柳」の上に乗ってみました。↓
「軍艦防波堤」、、、帝国海軍の駆逐艦としての役目を終え、今は防波堤になり、釣り人たちが集う中、ひっそりとその姿をとどめています。
「第1次大戦で活躍した駆逐艦」「Uボートと戦った駆逐艦」に触れて乗れるなんていう体験は21世紀、令和の今、そう体験できませんよ!!
時間の余裕ができたのなら、訪れたらいかがでしょうか?
<<軍艦防波堤の行き方>>
- 非常にわかりにくい場所にあります。カーナビを活用しましょう。
- 最寄りのバス停はありません。おっさんは、JR若松駅からレンタカーで行きました。思い切って地元のタクシーで行くという方法もあります。20分もかかりません。