大坂城でここを見逃すな!!
(現在の大坂城は徳川バージョン)
大阪城は石山本願寺があった場所に豊臣秀吉によって1583年に作られました。
しかし、1615年に起きた大坂夏の陣で落城。
その後、豊臣時代の大坂城に盛り土を行い、改めて築城し1629年に
徳川家の大坂城が完成します。ですから現在の大阪城は徳川バージョンです。
大阪城は広大な敷地にあり、周辺は現在、大阪城公園となっています。
国内外から多くの観光客が訪れていますが、ジョギングしている方々の姿も
よく見ます。
では、おっさんが大阪城を実際に歩いて探した名所を
紹介します。
(桜門の巨石)
桜門を入ると正面に見えるのが大きな巨石です。
人と比較するとわかりますが大きな石です。
淡路島から運んだそうですが、クレーンもブルドーザーもない時代に
よくこんな大きな石をたくさん運んできたもんです。驚きます。
(蛸石)
蛸石(たこいし)というのがありました。
石の表面の模様がタコに似ているとのことですが、何度見てもどう見てもタコには
見えません。子供の落書き模様にしか思えません。
(残念石)
大阪城のすぐ下には残念石があります。
大阪城を作る時に運搬途中に落ちてしまった石。
これは、やはり「落ちる」=落城を連想させるために縁起が悪いと言う事で、お城には使われずに放置されています。この石が「残念石」と呼ばれています。
大きくて立派な石ですが、やはり縁起を担ぐうえでは不吉な前兆となるんでしょうね。
せっかくここまで運んできたのに、放置され残念!!
(機銃掃射の跡が残る山里曲輪石垣)
桜門から入り大阪城を通り過ぎ下り坂を下りると山里曲輪につきます。
この山里曲輪にある石垣には機銃掃射による弾痕があります。
大阪城の敷地内には太平洋戦争中、中部軍管区司令部、第4師団司令部、歩兵第8連隊、さらに火砲や車両などの重兵器を陸軍大阪造兵廠などがあり軍事上の重要拠点
でした。そのためアメリカ軍の攻撃を受けました。
石に残る機銃掃射の跡、戦後70年以上がたった今でも生々しいですね。
(秀頼、淀自害の地)
また、山里曲輪は、大坂夏の陣で大阪城が陥落したときに、城の主の豊臣秀頼と淀殿が自刃した場所でもあります。
それにちなんで豊臣秀頼や淀殿が自害したとされる地に石碑があります。
また淀殿らと共に殉死した方々の慰霊塔もあります。
【大阪城天守閣 公式HP】
●おまけ情報
【秋の大坂城に桜が咲いていましたよ というブログはココ】
大坂城は春も秋も桜が楽しめます。
大坂城、見どころたくさんあります。散策しましょう!!
<<大阪城への行き方>>
(大阪市営地下鉄、谷町線) 谷町4丁目駅1-B番出口、天満橋駅は3番出口。
(中央線) 谷町4丁目駅9番出口、森ノ宮駅1番出口か3-B番出口。
(長堀鶴見緑地線) 森ノ宮駅3-B出口、大阪ビジネスパーク駅1番出口となります。 (JR大阪環状線)大阪城公園駅または森ノ宮駅徒歩すぐ