福岡県久留米市、
陸軍第十八師団司令部の向かい側にある諏訪神社参拝
福岡県の中心部にある久留米市。古くから商業都市として栄えたこの街にある諏訪神社を訪問しました。
諏訪神社は、境内の案内板によると奈良時代の末期から平安時代初期にはすでに宮立(神社の建物の事)があったそうですから1200年以上の歴史を持つ神社です。
戦国時代にはこの地は九州豊後の大名の大友氏と肥前の大名龍造寺氏の戦いの舞台となり神社が戦火で消えています。
(ちなみに大友宗麟、龍造寺隆信、島津義久は、「戦国時代の九州三強」と言われています)
現在ある神殿拝殿は天保五年に造られたそうです。
天保五年は1834年で、前年に起きた大雨や洪水がもたらした天保の大飢饉のちょうど真っ最中。多くの農民が餓死したと言われています。この全国的な凶作による米価や物価の高騰、物不足で一揆や打ちこわしも各地で起きました。そんな時代です。
(この天保の大飢饉は、寛永・享保・天明と合わせて江戸4大飢饉です。)
その後、水野忠邦による天保の改革が始まり、また「遠山の金さん」こと遠山金四郎が奉行として活躍し、さらには大阪では大塩平八郎の乱がおきます。
(師団司令部 となりの神社として)
時代が江戸から明治に代わり富国強兵の名のもと軍の力が強くなります。
昭和3年は1928年。この年の6月には中国東北部で、張作霖爆殺事件が起きます。
同じ年、この諏訪神社がある久留米市では久留米大学の前身となる「久留米医学専門学校」が設置されます。
支那事変勃発後の1937年(昭和12年)には、陸軍の第十八師団司令部が久留米に再編成され諏訪神社の向かい側に司令部が建てられます。
★久留米師団司令部について書いたブログはここです。
諏訪神社は、陸軍の師団司令部の向かい側にあるということから多くの軍人が、
元旦、紀元節、天長節、明治節などの節目節目に参拝したことでしょう。
国道3号線に面した一の鳥居には「昭和17年」の文字が刻まれています。
昭和17年は1942年、太平洋戦争の最中です。
(「方除」(かたよけ)」)
諏訪神社の裏門に掲げてある赤い幟には「方除(かたよけ)」の文字があります
神社の世界には、方位神(ほういじん)というのがあります。これは、その神のいる方位に向かい何か事を起こすと吉凶をもたらすと考えられた神です。吉をもたらす神がいる方角を吉方位といい、凶をもたらす神がいる方角を凶方位といいます。
転勤・転職や転居、改修工事(リフォーム)、増築改築などに関して、この方角はダメだという方位を無意識に犯してしまい、トラブルや病気などの災難が襲いかかることがあります。
この災いを事前に避ける、あるいはすでにその状態になった場合はそれが大きくなる前にお祓いをするのが「方除」です。
(神紋)
諏訪神社の神紋は鎌です。この鎌には悪縁を断ち切るというご利益があるそうで、
これまでの悪縁を断ち切り、以後は良い縁が集まってくるそうです。
当然、おっさんこれまでの人生の悪縁を断ち切るよう念入りに参拝してきました。
果たして、おっさんの人生は好転、いや今の状況から改善するのか!!
その結果は、継続して観察します。
<<諏訪神社への行き方>>
西鉄久留米駅から徒歩10分以内
住所:福岡県久留米市諏訪野町14-7