日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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爆弾三勇士之碑 (福岡県久留米市山川招魂社)

かつて、映画に歌に雑誌に新聞に教科書に・・・と、
様々なものに取り上げられ、日本中に
大ブームを起こした
爆弾三勇士之碑がある、
彼らの地元の山川招魂社に行ってきました。


(行きたかった場所・福岡県久留米市山川招魂社)
福岡県久留米市。かつて陸軍の師団司令部があり軍都として栄えたこの街には、1932年(昭和7年)に起きた上海事変での爆弾三勇士が所属した久留米の独立工兵第18大隊がありました。

そして現在、久留米市にある山川招魂社には、その爆弾三勇士の慰霊碑があるというので、是非、行ってみたいと思っていました。
しかし、場所は、九州は福岡県の久留米市、しかも中心部から離れた場所ということで、なかなかそう簡単にはいけません。しかし、ついに行く機会がありましたので行ってきました。

 

(山川招魂社)
山川招魂社は、江戸時代が幕を閉じた翌年の1869年(明治2年)に久留米藩の藩主・有馬頼咸が建立したものです。


招魂社とは、護国神社の旧称で、幕末・維新期の殉難者とその後の戦没者を祭った神社のことです。1868年(明治元年)に太政官布告で国事のために死んだ藩士や一般人と戊辰戦争の死者の霊を祭る祠が京都の東山につくられ,同時期に諸藩にも招魂場が設けられるようになりました。
1869年(明治2年)に東京・九段にできた東京招魂社は、後の靖国神社です。
さて、この久留米にある山川招魂社には、幕末の尊皇思想家の高山彦九郎のほか、殉難した久留米藩の尊攘志士や戊辰戦争での戦死者、佐賀の乱西南戦争の戦死者を合祀しています。


(山の中にひっそりと)
山川招魂社は、久留米市の中心部から離れた山の中のひっそりとした場所にあります。実に静かな場所です。

鳥居をくぐり、薄暗い山道を登っていきます。


(爆弾三勇士之碑)
石段を登ると、爆弾三勇士之碑がすぐに現れます。これです。
この碑は爆弾三勇士の約半世紀後の1981年(昭和56年)2月22日に建立されました。

爆弾三勇士は、1932年(昭和7年)2月22日、第一次上海事変での出来事です。
中国軍の鉄条網を破壊するために、破壊筒を持ったまま突入し、そのまま爆死し、突破口を開いた久留米の独立工兵第18大隊所属の3人=江下武二、北川丞、作江伊之助各一等兵、の石碑です。

この三勇士の戦いは、自分の命を犠牲にした活動であり、昭和初の軍神になり、日本中で大ブームを起こします。
映画、レコード、雑誌など色々な関連物が作られ、戦前は教科書にも載りました。
爆弾三勇士は、肉弾三勇士とも言います。
その活動に関しては、下をクリックして御覧下さい↘

(大東亜戦慰霊碑)
奥には、大東亜戦慰霊碑があります。

 

正面から見て左側には「ビルマの月」

右側には碑文。

ビルマ派遣軍龍兵団工兵五十六連隊慰霊碑)
さらにその奥にはビルマ派遣軍龍兵団工兵五十六連隊慰霊碑があります。龍兵団は菊兵団(第18師団)とともに陸軍最強と言われた軍隊でビルマ方面にて従軍しています。


<<山川招魂社への行き方>>
車で行きましょう
住所:久留米市山川町字茶臼山41番地

 

 

爆弾三勇士の碑がある地元久留米の山川招魂社、
非常に静かでした。