皇居にある二重橋を見てきました。
2019年(令和元年)10月22日(火)、東京で即位式が
行われました。
日本の首都・東京。
かつて江戸時代は将軍のおひざ元として賑わい、世界最大の都市として発展、明治時代以降は天皇が住む日本の中心として成長を遂げている大都市です。
その東京で、天皇関係のニュースの時、必ずと言っていいほど、映し出されるのが皇居の二重橋の映像。
映像でよく見る二重橋ですが、実は、ここがどんなところなのかよく知らないし、
行ったこともないので、おっさんは、この二重橋に実際に足を運びました。
(注:即位式の日は、さすがに行けなかったので、その前に行きました)
(実は、二重橋は奥にある橋!!)
二重橋は、JR東京駅から歩いて10分ほどの江戸城前にあります。
皇居前広場から宮殿に向かうところに堀があり、そこにかかる二重アーチの石橋を
「二重橋」と思うが多いそうですが、これは「正門石橋」で、二重橋ではありません。
二重橋は、その奥にある皇居正門の堀にかかる橋のことです。↓
これが、本来の「二重橋」。橋の正式名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)です。
江戸時代は、この橋は木製の橋で、堀が深いために上下二重に橋げたを組んだために、
二重橋と呼ぶようになったそうです。
昔はこんな風だったんですねえ。
現在の二重橋は、昭和39年6月に架け替えられたものです。
この橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。
おっさんは、すぐに見える橋がてっきり二重橋と思い込んでいましたが、あれは違うんですね。
その奥にあるんですねえ。知らんかった!!
(二重橋周辺での出来事)
戦前、天皇は「現人神(あらひとがみ)」ということで神格化が進み、「二重橋」が
天皇・皇居の象徴のような存在となりました。
二重橋周辺では、色々な出来事が起きています。
1922年(大正11年)には、男が天皇に世の不平を直訴しようとしたものの阻止され、橋の上で懐に入れていた爆弾に火をつけて、爆弾もろとも爆発自殺をするというすさまじい事件が起きています。
1924年(大正13年)には、当時、日本の植民地だった朝鮮半島の独立を狙う組織・上海義烈団の一員が上海から日本に密入国して皇居に向かい、爆弾を投げつけたものの、
その場で取り押さえられています。
(終戦の日の出来事)
戦争中は、戦勝記念に天皇が白馬に乗って二重橋正門鉄橋に現れ、国民が万歳を叫ぶなど、皇居前広場は,極めて「神聖な空間」となりました。
太平洋戦争終戦の日、1945年(昭和20年)8月15日には、この二重橋周辺では様々な
ドラマが繰り広げられました。
日本政府のポツダム宣言受諾に反対する陸軍と近衛師団の参謀の一部が、クーデターを起こそうとするものの失敗し(宮城事件)、玉音放送が始まる直前の午前11時過ぎに
二重橋と坂下門の間の芝生上で首謀者の陸軍の畑中健二と椎崎二郎がピストル自殺を
遂げます。
同日正午にラジオで玉音放送が流れ、一般市民が日本の無条件降伏を知ると、
人々が皇居前広場に集まります。
敗戦をわび、砂利の上に正座で涙する人、大泣きをする人もいました。
広場では少なくとも13人が自決しています。
TVでよく見かける二重橋。その二重橋は様々な歴史を持っていたんですねえ。
今では、二重橋は、新年や天皇誕生日の皇居一般参賀の時には開放され渡ることができます。
<<二重橋への行き方>>
JR東京駅から徒歩10分
住所:東京都千代田区千代田1-1