日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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11月10日 皇居前にて紀元2600年式典開催

 

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1940年(昭和15年)11月10日(日)、

東京の皇居前広場昭和天皇・皇后隣席の下、

内閣が主催する「紀元二千六百年式典」が

盛大に開催されました。

 

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紀元2600年記念行事とは1940年(昭和15年)が初代神武天皇が即位して2600年目に

あたる年とされ、国を挙げての大祝賀となりました。f:id:reiwa00502:20201109214628p:plain

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11月10日の夜には、皇居前にかがり火がたかれ、夜更けまで賑わいます。

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花電車も登場し、お祭りムードを盛り上げます。

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皇紀2600年記念式典は翌11日にも開催され、2日間にわたるこの式典には、合計で5万5千人の参列者を迎えました。

 

【式典の様子を伝える東京朝日新聞臨時夕刊の記事】

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 (式典はラジオで全校に生放送) 

 皇居前で行われた祝賀会の様子は、当時唯一のラジオ局であった日本放送協会

(のちのNHK)のラジオ放送を通じて全国に実況中継されました。

このとき天皇勅語の箇所だけは放送が中断されています。

これは、ラジオを聴いている人が、変な姿勢や寝転がって聞いたのでは、天皇に対する不敬になると判断したためです。

ちなみに天皇の肉声がラジオから初めて流れるのは、終戦の日の1945年(昭和20年)

8月15日の正午です。

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(映像に残る式典の様子)

皇紀2600年祝賀会の様子は当時の日本ニュースが伝えていて今もその映像を見ることができます。

 皇紀2600年記念式典を伝える日本ニュース】

 

(♪紀元は2600年)

この式典にあわせて「皇紀2600年奉祝曲」も作曲されました。

おっさんの母親(昭和4年生まれ:92歳)は当時高等女学校の学生で、

この日女学校では奉祝会があり紀元2600年の踊りを踊ったそうで、

今でも歌を覚えています。

さすがに踊りはしませんが・・・。

 

(2600年には夏冬五輪と万博も決まっていた)

紀元2600年にあたる1940年(昭和15年)は日本の建国のお祝いということで

政府は国際的なイベントの誘致にも成功していました。

国際大会に加え札幌五輪東京五輪、そして万国博覧会の開催も決まって

いました。

夏と冬の五輪と万博が同じ年に開催…なんとも豪華なイベントの連発です。

 

札幌冬季五輪が1940年(昭和15年)2月3日から12日まで。

2600年万国博覧会は3月15日から8月31日までの170日間、

東京五輪は9月21日から10月6日までを予定していました。

しかし、日中戦争の長期化でいずれも返上しています。

 

皇紀2600年=1940年(昭和15年)はどんな時代か】

この皇紀2600年記念式典が開催された1940年(昭和15年)は、日中戦争の真っ最中。

3月30日には蒋介石から離れた汪兆銘が南京に親日南京政府を樹立。

すでに欧州戦線では第2次大戦は勃発しドイツ軍の進撃が続いています。

 

6月には満州国皇帝の溥儀が皇紀2600年奉祝のため2度目の来日をします。

この時、史上唯一、昭和天皇がわざわざ東京駅のホームに出迎えに来るという

最恵国待遇を受けます。

このような対応を受けた国家元首は今までも含めてただ一人です。

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満州国皇帝入京を伝える日本映画ニュース特報】

 

9月には日独伊三国同盟が調印されます。

【9月27日日独伊三国同盟調印】

 

(国内で盛り上がる紀元2600年

郵政省(当時は逓信省)は、11月10日の紀元2600年祝賀会にあわせて4銭と20銭の記念切手を発行します。

図案は20銭は初代の神武天皇が即位した奈良の橿原神宮です。

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4銭切手は、天孫降臨の地・宮崎の高千穂です。

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初代の神武天皇は、宮崎で生まれ九州を平定したあと、東へと向かい、

奈良の樫原に都を作り、そこで初代の天皇として即位します。

その即位した日が西暦元年の660年前の2月11日とされています。

ですから2月11日が「建国記念日」であり、この日はかつては「紀元節」と

言っていました。

ちなみに2600年の年の紀元節にあたる2月11日には2銭切手と10銭切手をすでに発売しています。いずれも図案は日本書紀からです。

2銭切手は、金鵄です。

2600年の歌の出だしの♪金鵄輝く日本の~ の金鵄です。

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10銭切手は鮎と厳瓶(いつしべ)です

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(初代神武天皇の船出を再現)

初代神武天皇が船出をしたと言われる宮崎県の美々津では、4月18日に、

皇紀2600年記を祝し、日本海軍協会、大日本海洋少年団、大阪毎日新聞社が主催し

神武天皇が船出したという「おきよ丸」を作り、地元宮崎の青年150人が古代船を

漕ぎ、美々津港から大阪中ノ島まで「神武天皇の船出」を再現しています。

 そして一行は、奈良の樫原神宮で神楯を奉献しています。

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(ゼロ戦はこの年デビュー)

太平洋戦争前半では無敵を誇っていた日本海軍のエース・ゼロ戦はこの年にデビューします。

2600年の末尾の0からゼロ戦と名付けられました。

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(各地に残る皇紀2600年記念物)

皆さんは、神社でこのように刻まれた物を見たことがありませんか?

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皇紀2600年は国を挙げての一大イベントだったために、このように日本各地に

記念で建てられたものが残っていることがあります。

特に神道の神社に多く見られます。

 

天孫降臨の地・宮崎にある皇紀2600年関連の3つの搭)

天孫降臨の地であり、初代神武天皇が住んでいた宮崎も盛り上がります。

そして3つの石碑が作られました。

 

①八紘之基柱(八紘一宇の塔・平和の塔)

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【八紘一宇の塔について書いたブログはココ】

 

皇軍発祥之地碑

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皇軍発祥之地碑について書いたブログはココ】

 

日本海軍発祥之地碑f:id:reiwa00502:20210204224239p:plain

日本海軍発祥之地碑について書いたブログはココ】

この3つの石碑は、

車があれば1日で周ることが十分可能です。

 

また、宮崎には初代神武天皇の皇居跡もあります。

 

 

・・・・というわけで、

11月10日は、

1940年(昭和15年)に

皇紀2600年記念式典が開催された日です。

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