JR下関駅から5分ほど歩くと、中国電力下関営業所がありますが、
ここは、幕末に長州藩の奇兵隊が結成され、奇兵隊の本陣が置かれていました。
同時に、ここは下関の豪商、白石正一郎の屋敷でもありました。
つまり、奇兵隊は、白石正一郎の屋敷で結成され、その屋敷内に本陣があったのです。
(維新影の功労者:白石正一郎)
白石正一郎は、高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬、西郷隆盛など、400人もの維新の志士たちを資金面で援助した、明治維新の影の功労者です。
白石正一郎は1812年生まれ。山口県下関市竹崎の荷受問屋・小倉屋の八代目当主です。小倉屋は、海運業のほか、木材、米やたばこ、塩、酒、茶、反物などを扱う長州藩の
豪商でした。
正一郎は、家業の傍ら、国学を学び、高杉晋作ら尊王攘夷運動の志士と交流を深め,
その活動を援助していきます。
当時、海運業や相場などで栄えていた下関を訪れる志士の多くが白石家を宿としていた
そうです。
(白石邸で奇兵隊結成)
1863年6月, 正一郎が52歳の時、高杉晋作は白石邸で兵隊の奇兵隊を結成します。
奇兵隊は、当時士農工商の身分の江戸時代に、身分を問わずに、志のある者を集め兵力とした私設軍隊で討幕の時に重要な役目を果たしました。
奇兵隊結成の時に、正一郎は莫大な金銭面の援助のみならず、自身も弟の廉作と共に
入隊し,会計係となります。
そして家財をつぎ込みながら経済的な援助を行い、倒幕運動に捧げます。
しかし、過剰な経済支援・援助が大きな負担となり維新後の1875年(明治8年)に正一郎の店・小倉屋は破産します。
その後、正一郎は赤間神宮の宮司になり、1880年に69歳で死去します。
【赤間神宮について書いたブログはここです】
白石正一郎邸は、現在の下関市竹崎町中国電力下関営業所敷地内にありました。
今、そこには「白石正一郎宅跡」「高杉晋作 奇兵隊結成の地」の碑が建っています。
下の写真では左側に石碑が見えます。
石碑はJR下関駅から歩いて5分ほどの距離です。下の写真の右の赤い列車がJR下関駅を出たばかりの列車です。
(近くには、晋作終焉の地もあります)
奇兵隊発祥の地の近くには、高杉晋作終焉の地もあり、歩いて行けます。
おっさんは、晋作の、命日4月14日にそこにお参りに行きました。
【高杉晋作終焉の地について書いたブログはここをクリック】
【白石正一郎についての本はこれがお勧めです】
<<奇兵隊結成の地・白石正一郎邸への行き方>>
JR下関駅徒歩5分 中国電力下関営業所 横
住所:山口県下関市竹崎町3丁目8-13 中国電力下関営業所