日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

中野区に江戸時代の象飼育小屋があった!

 東京都中野区、中野坂上の住宅地にある朝日が丘公園。江戸時代に象の飼育小屋が作られ、飼育されていました。

f:id:reiwa00502:20200623121901p:plain

 

天皇と将軍に謁見した象)

この象の来日は、中国・清の商人が当時の将軍・徳川吉宗に象を献上したいと言い出した事が発端でした。
そこで1728年、ベトナムの雄雌2匹の象が日本へ船に向かい、当時の海外との窓口に
なっていた長崎に上陸します。
しかし、慣れない生活や気候、食べ物の影響なのか、雌の象は死亡します。

残った1匹の象は1729年3月13日に長崎を出発、長崎街道を歩いて江戸に向かいます。

f:id:reiwa00502:20200416141450p:plain

 【大里文化会・大里柳共有組合設置の豊前大里宿絵図より】

 

 

この象は途中、4月28日に京都で土御門天皇に謁見します。

それを記念し4月28日が象の日になります。 

 

5月25日には、江戸に着き、27日、江戸城徳川吉宗と会い、しばらくは幕府で飼育されていました。

このころは、天皇中御門天皇江戸幕府では1716年に徳川吉宗が8代将軍になり、
享保の改革を始めていた、そんな時代です。

 

(中野に象小屋を建設)

やがて江戸幕府は中野に象舎を建て、象の世話をしていた中野村の源助に払い下げます。
象人気は相当なもので、源助も象の見世物興行を行い、また、象の糞を疱瘡の薬として売り出すなどして稼いだそうです。

そして象は1742年、衰弱死します。
象は、亡くなった後は、その皮は幕府に献上され、牙一対は近くの宝仙寺に保存されました。

【江戸時代に来日したこの象について書いたブログ】

宝仙寺について書いたブログ】

 


江戸時代、大人気となった象が飼育されていた場所には現在、案内板がポツンとあるだけです。当時の絵や何か当時の名残でもあったらいいのですが・・。
f:id:reiwa00502:20200623123745p:plain

 

 

<<象小屋跡への行き方>>
JR東中野駅から徒歩20分、地下鉄丸ノ内線中野坂上駅から徒歩10分
住所:東京都中野区本町二丁目32番地

f:id:reiwa00502:20200623124003p:plain