江戸時代の1729年旧暦5月25日、
ベトナムからやってきた象が江戸にお目見えします!!
(天皇と将軍に謁見した象)
この象は、中国・清の商人が当時の将軍・徳川吉宗に象を献上したいと言い出した事がから始まりまし。
そして1728年、ベトナムの雄雌2匹の象が日本へ船に向かい、当時の海外との窓口に
なっていた長崎に上陸します。
しかし、慣れない生活や気候、食べ物の影響なのか、雌の象は死亡します。
残った1匹の象は1729年3月13日に長崎を出発、長崎街道を歩いて江戸に向かいます。
【大里文化会・大里柳共有組合設置の豊前大里宿絵図より】
(4月28日は象の日)
このころは、天皇は中御門天皇、江戸幕府では1716年に徳川吉宗が8代将軍になり、
享保の改革を始めていた、そんな時代です。
長崎から日本に上陸した象は、関門海峡を渡り歩いて江戸に向かう途中の4月28日に
京都で土御門天皇に謁見します。
それを記念し4月28日が象の日になります。
(5月25日に象、江戸に入る)
象は、天皇と謁見したあとは、陸路をゆっくりと歩き5月25日、江戸に着きます。
2日後の、27日、江戸城で将軍・徳川吉宗と会い、しばらくは幕府で飼育されていました。
(中野に象小屋を建設)
やがて江戸幕府は中野に象舎を建て、象の世話をしていた中野村の源助に払い下げます。
現在、中野坂上の住宅地にある朝日が丘公園、ここが江戸時代に象の飼育小屋があった場所です。
しかし、現在は看板だけで、当時の名残は何もありません。
江戸時代、大人気となった象が飼育されていた場所には現在、案内板がポツンとあるだけです。当時の絵や何か当時の名残でもあったらいいのですが・・。
(象は大人気!!)
江戸にやってきた象の人気は相当なもので、源助も象の見世物興行を行い、また、象の糞を疱瘡の薬として売り出すなどして稼いだそうです。
そして象は1742年、衰弱死します。
象は、亡くなった後は、その皮は幕府に献上され、牙一対は近くの宝仙寺に保存されました。
【江戸時代に来日したこの象について書いたブログ】
【宝仙寺について書いたブログ】
【中野区公式観光サイトに書かれた象の話】
<<象小屋跡への行き方>>
JR東中野駅から徒歩20分、地下鉄丸ノ内線中野坂上駅から徒歩10分
住所:東京都中野区本町二丁目32番地
5月25日は、象が江戸にお目見えした日です