日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡ります。みんなも旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。現在進行形のサクセス「ブログ」を書いて、充実した人生を目指します!

4月14日は高杉晋作の命日

 

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【写真は2021年(令和2年)高杉晋作の命日に訪れた終焉の地に掲げられたものです】

 


4月14日は、

末の中心的人物の1人、

長州藩士・高杉晋作の命日です。

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高杉晋作とは・・)

高杉晋作は幕末に倒幕派の中心となった人物です。

藩校明倫館、松下村塾に学び1863年に外国船から攻撃をうけた時に奇兵隊を結成し、

外国勢と戦います。

1864年に四国連合艦隊との講和において正使として活躍します。

また第1次長州征討の後、長州藩を討幕に転換します。

1866年6月におきた第2次長州征討では指揮をとり、各地で幕府軍を打ち破ります。

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(「近世名士写真」国立国会図書館ウェブサイトより)

 

また、高杉晋作は、薩長同盟締結の立役者・坂本龍馬とも交流があり、龍馬に護身用としてピストルを渡しています。

このピストルは、薩長同盟を成立させた坂本龍馬が京都の寺田屋で襲撃されたときに

使用しています。


高杉晋作は、1867年4月14日、結核がもとで、山口県下関市で死亡します。

このとき27歳、この年に行われた大政奉還を見ることなく亡くなりました。


「おもしろき こともなき世を おもしろく」という辞世の歌でも知られています。

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(2021年(令和3年)晋作の墓参りに行く)

 2021年(令和3年)は4月14日の晋作の命日が水曜日で会社が休めないので、

命日には少し早いですが、11日(日)に下関に行き高杉晋作の墓参りに行ってきました。

 

まずはJR下関駅近くにある高杉晋作終焉の地。

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続いて墓参り。
高杉晋作の墓は、下関では東行庵(とうぎょうあん)にあります。

東行(とうぎょう)とは有名な「西行」にちなんで、あっちが「西」なら、俺は「東」だと、晋作が茶目っ気を見せてつけたものです。

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一方、下関市にある桜山神社。本殿の裏側には、奇兵隊士の招魂場がありました。

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正面の中央、吉田松陰の隣に高杉晋作がありました。

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(2020年(令和2年)高杉晋作の命日に終焉の地に行く) 

2020年(令和2年)は、おっさんは幸運にも4月14日に有給休暇をとることができたため

高杉晋作の命日に高杉晋作終焉の地にお参りに行きました。

高杉晋作の命日に終焉の地に行った事を書いたブログ】

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下関市にある高杉晋作関連の史跡】 

本州の西端、山口県下関市関門海峡に面したこの地は、幕末の志士・高杉晋作

ちなんだ史跡があります。

そこで、おっさんが実際に足を運んだ下関市の晋作史跡を紹介します。

 

奇兵隊設立の地・奇兵隊本陣)

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1863年5月10日、攘夷政策をとる長州藩関門海峡で外国船に対し砲撃を行います。

しかし、逆に報復を受けます。この時、晋作は下関の防衛を任せられます。
そして6月に身分にこだわらない兵隊組織を結成します。奇兵隊です。

奇兵隊の誕生は「武力を持つのは武士のみ」と言う江戸時代には、画期的な出来事でした。

奇兵隊について書いたブログはここ】

この奇兵隊設立には、下関の豪商・白石正一郎の財政支援が大きな力となりました。

当初、白石邸には奇兵隊の本陣が置かれていました。

<<奇兵隊結成の地・白石正一郎邸への行き方>>
JR下関駅徒歩5分 中国電力下関営業所 横
住所:山口県下関市竹崎町3丁目8-13 中国電力下関営業所

  

(馬関戦争の舞台・みもすそ川公園)
1864年8月には、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4か国連合艦隊が下関を

砲撃し、砲台が占拠されます。(馬関戦争)
この時、24歳の晋作は和議交渉の窓口を任され、諸外国と交渉します。

この講和会議で連合国は「彦島の租借」を要求しますが、晋作は拒否し撤回させます。

また高杉晋作は、攘夷は幕府の命令で長州藩はそれに従っただけだから賠償責任先は、幕府にあると主張し、賠償をしていません。

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【馬関戦争について書いたブログはここ】

【みもすそ川公園HP】

 

<<みもすそ川への行き方>>

住所:山口県下関市みもすそ川町1

 

(決起した功山寺

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1864年12月15日には、晋作は、下関市長府にある功山寺で、尊王討幕の決起を行います。

【回天義挙した功山寺について書いたブログはここです】

<<功山寺への行き方>>

レンタカーが一番いいです。JR山陽本線長府駅から車で15分

住所山口県下関市長府川端1丁目2-3

 

 (第二次長州征伐そして死)

晋作は、1866年の第二次長州征伐の時には海軍総督として「丙寅丸」に乗り指揮を執り幕府軍を破り、さらに小倉藩を攻め敗走させます。

こうして、晋作は長州藩で討幕の中心人物として活躍していきます。

 

しかし、結核にかかり下関の大庄屋の林算九郎と言う人の邸宅の離れに住み、

生活していました。高杉晋作が住んでいた屋敷は「緑堂」と呼ばれていました。

そして1867年4月14日、下関市桜山で肺結核の療養中に死去します。満27歳でした。

 

高杉晋作終焉の地)
高杉晋作の終焉の地は、山口県下関市のJR下関駅西口から10分ほど歩いた住宅地の一角にあります。

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高杉晋作終焉の地について書いたブログはここ:命日に行ってきました】 

<<高杉晋作終焉の地への行き方>>
JR下関駅西口徒歩10分以内    妙蓮寺と言うお寺の前です
住所:山口県 下関市 山口県新地町1

  

下関市にある高杉晋作の像)

討幕の英雄・高杉晋作の像は下関市に数か所あります。

  

(おまけ:京都の高杉晋作の墓)

(参考)京都の霊山護国神社には、久坂玄瑞高杉晋作の墓が同じ場所にあります。

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【霊山護国神社について書いたブログはここです】

  

高杉晋作などの幕末を知りたいならこの本がいいです】

 

 

上記施設は山口県下関市にあるので

レンタカーを利用すれば数時間で全部周ることが

できます。

 

…という事で4月14日は

高杉晋作がなくなった日です。

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