足利尊氏との抗争にやぶれ京都を離れ奈良の吉野に逃れた後醍醐天皇。
その後醍醐天皇が皇居として定めたのが吉水神社でした。
1336年、後醍醐天皇がここ吉水神社を行宮(あんぐう・仮の御所)とし、三種の神器も
ここにありました。
神社の入り口には「南朝本拠 四帝御所」の看板が・・。
南朝皇居跡は見学ができます。
これがチケット兼用のパンフレット。入館料が、大人・学生が400円。
掲げられた「南朝皇宮」の文字。
(北闕(ほっけつ)門)
庭の一番奥にあるのは北闕(ほっけつ)門。
吉水神社が吉水院と呼ばれていた頃、大峯山への入山許可を出す場所でした。
山伏達はここで無事を祈り邪鬼払いをしたそうです。
後醍醐天皇はここから北の方角にある京を望み、都へ帰る日を夢見て歌を残します。
しかし結局は、京都には戻れずこの地で崩御します。
南朝皇居でもあったこの吉水神社は、源義経と静御前が落ち延び、また太閤豊臣秀吉の花見の本陣にもなりました。
平安時代末期の1185年、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたものの、鎌倉にいる兄・源頼朝と対立した源義経は、源頼朝の追手から逃れ静御前、弁慶とここに住みます。
源義経潜居の間があります。
(秀吉の茶会)
1594年には豊臣秀吉がここを本陣とし吉野の花見を盛大に催しています。
(世界遺産)
ここは世界遺産にも選ばれています。
<<吉水神社への行き方>>
吉野駅よりロープウェイに乗り換え、吉野山駅より徒歩約20分。
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