被爆地長崎から贈られたものです。
実は、「長崎原爆」が当初の予定では「小倉原爆」だったからです。
8月9日は北九州市小倉に原爆が落とされる予定でした。
ちょっとしたことで物事が決まったり、その後の事に大きな影響を与える事態が起きたりすることがあります。
今回紹介する小倉原爆もその1つだと思います。
(小倉原爆)
1945年(昭和20年)8月9日は長崎市に原子爆弾が投下された日です。
しかしながら当初、米軍の投下目標地は同じ九州でも福岡県の北九州・小倉でした。
当時の小倉の様子はこちらのブログを読んでください↓
当時、小倉には西日本最大規模の軍事工場群である陸軍の造兵廠がありました。
この周辺が、2発目となる原爆の投下目標地ではないかと言われています。
(小倉に原爆投下できず)
8月9日午前9時44分。B29は原爆投下目標である小倉陸軍造兵廠の上空に到達します。
しかし、当時は原爆投下は目視ですが、当日の小倉上空を覆っていた霞や煙のために、目視での投下目標確認ができません。
視界を妨げていたのは前日・8月8日に米軍による八幡空襲の焼け跡から出た煙という話があります。
八幡と小倉の距離は7キロほどで、八幡には、日本の工業化をけん引してきた官営の
八幡製鉄所がありました。
【八幡空襲について書いたブログはココです】
また、当日、敵機が接近しているという情報を聞き、敵の目をくらませるために「コールタールを燃やして煙幕を張った」という、八幡製鉄所の従業員の証言もあります。
その後、B29は、原爆投下の機会をうかがい45分間近く小倉上空でスタンバイしますがそのうち燃料に余裕がなくなります。
また、B29接近の連絡を受け米軍では、日本の戦闘機がB29に体当たりを仕掛けてくるのではないかと警戒します。
北九州空襲での日本軍によるB29体当たりは今までも起きています。その再現を米軍は恐れていました。
【B29体当たりについて書いたブログはココです】
そのような理由から原爆を搭載したB29は目標を小倉市から第二目標である長崎市に
変更します。
午前10時30分頃、原爆を積んだB29は、小倉市上空を離脱し、第二目標である長崎に
向かい、そこでの原爆投下となりました。
長崎に投下された1発の原爆で 当時の長崎市の25万人のうち人口のうち約7万4千人が死亡し、爆心地か半径2キロは焼け野原、30%を超える建物が全焼または全半壊したといわれています。
(小倉にある原爆犠牲者慰霊平和祈念碑)
8月9日の原爆投下目標地だった福岡県小倉の陸軍の造兵廠の一部は、勝山公園になっています。
その勝山公園には「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」が作られています。
76年前の1945年(昭和20年)8月9日、2発目の原爆投下目標地だった小倉にある
「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」に鎮魂と慰霊に行ってきました。
1976年{昭和51年)には、被爆地・長崎市から「長崎の鐘」が贈られ、小倉では毎年8月9日に原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を行っています。
(76年前、爆心地になっていたかもしれない場所に立つ)
毎年、福岡県北九州市小倉で行われていた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典ですが、
2021年(令和3年)は台風で中止となりました。
平和記念式典は台風で中止となりましたが、夕方には晴れたので福岡県北九州市小倉の勝山公園にある「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」に慰霊と鎮魂に行ってきました。
原爆投下当日という事で祈りをささげる人の姿もチラホラ・・・。
<<勝山公園の「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」への行き方>>
JR西小倉駅から徒歩15分。図書館の裏の公園の森の中にあります
8月6日には広島に次ぐ原爆投下の第二目標地、
8月9日は第一目標だったものの視界不良で
第二目標の長崎に原爆投下・・・
二度も原爆を免れた小倉・・、
爆心地になっていたかもしれない場所に立ち
様々な考えや思いを巡らせました。